子どものいたずら

「これが、噂の薬ですかあ」
「試験段階だけど、かなりいい線はいってるはずだ」
「これを飲めば俺も・・・・・・」
「まあ、期待はしていいと思うぞ」

 少年は袋を手に取り、中に入っている白い粉をまじまじと見つめた。薬はチャックの付いたポリ袋に入っており、見た感じは片栗粉のようであった。そして、この薬を飲んだ後のことを考えて、小さく笑った。
 この春中学生になった少年、山村春樹は自分の身長をコンプレックスに思っていた。彼の身長は152cmと、中学1年生にしては標準なものである。しかし、いま目の前にいる社会人の従兄弟は185cmと長身であり、また妹の夏海は小学5年生にして155cmと、すでに兄よりも背が高くなっていた。母は165cm、父は185cmあり、さらに一番下の小学2年生の妹は140cmと、年齢を考えればかなりの長身である。そんな長身一家の中で、長男の春樹だけが平均的な身長であった。
 従兄弟は製薬会社の研究員であり、春樹の身長コンプレックスを知ってからは、『背を伸ばす薬』の開発を目指していた。それは春樹への思いやりであると同時に、純粋な野心、好奇心の類でもあった。そして、その試作品ができたということで今日、従兄弟は春樹の前に現れた。もっとも、従兄弟は多忙であり、一年に一度、年度の節目くらいしか山村家を訪れることはない。
 従兄弟が帰った後、春樹は自室の勉強机にて薬と対面をしていた。身長を伸ばしたいという思いは人一倍強かったが、薬を使うとなると様々な不安が春樹の脳裏をよぎった。春樹はしばらく考えた後、一晩寝てから考えようと思い、引き出しの中に薬をしまって気分転換に外出した。
 その瞬間を、長女の夏海は見逃さなかった。夏海は兄の部屋に侵入して春樹の引き出しから薬を取り出した。中身をティッシュペーパーの上に出し、代わりに台所から取ってきた片栗粉を同じ量だけ中に入れて再び引き出しに戻した。そして薬を丁寧に、自分の部屋に持ち帰った。夏海は、兄よりも背が高くなったことを喜んでいた。自分の長身を誇りに思っていた、もっと背を伸ばしたいとすら思っていた。そんな兄が、薬の力で背を伸ばそうとするのが彼女は気に入らなかった。夏海は薬を口に含み、水で流し込んだ。変な薬だったらどうしようという不安がなかったわけでもないが、親や兄にバレる前に飲んでしまおうという気持ちが強くはたらいた。
 その翌日、兄は薬がすりかえられているとは夢にも思わず、片栗粉を服用することになった。

*

「もっと伸びると思ったんだけどなあ」
「11.3cm伸びたんですけど、友達にもこれくらい伸びたのはいました」
「成長期の男子は、そんくらい伸びるよなあ・・・・・・」
「お兄さんの新しい薬っていうのは、これですか?」
「ああ。とはいっても、そこまで変わったわけでもない。ただ成分を濃くしただけと思っていい」
「はあ・・・・・・」
「まあ、気が向いたら飲んでみてくれ。飲んだら効果を教えてくれると嬉しい」
「は、はい。わかりました」

 春樹は従兄弟が帰った後も、リビングに残ってもらった薬を眺めて物思いにふけっていた。薬は本当に効果があったのか、春樹はそれを考えていた。効くがどうかわからない薬を高濃度で服用するということに不安を覚えていた。また、もし逆効果になるかもしれないと、春樹は疑っていた。
 リビングに夏海がやってきて、コップに水を注ぐ。水の流れる音に春樹は小さく肩を震わせ一瞬そちらを見たが、すぐに薬に視線を戻した。夏海の身長はこの1年で15.6cm伸び、小学6年生にして170cmを突破していた。春樹はそんな夏海を強く意識していた。たまに見せるお姉さんぶった仕草に苛々を募らせていた。
 一方で夏海は、春樹が手にしている薬を狙っていた。170cmを超えた夏海は『大女』であり、学校内外で身長をからかわれることも少なくなかった。もう身長を伸ばしたいとは思っていなかった。しかし、兄が身長を伸ばすというのを、夏海は異常に嫌っていた。兄よりも背が高くなって以来、夏海は兄という上位存在を超えたという自負や、小さい兄に対する母性的な感情、また兄に限らず男性の平均身長を越えようとしていることに対する先と同様の感情が複雑に絡み合って夏海の心を締め付けていた。
 春樹は意を決してその薬を飲もうとチャックに手を触れたその時、夏海はすっとそのポリ袋を取った。春樹は何をするのかと、夏海からそれを取り戻そうとするが夏海は手を高く上げて取られるのを防いだ。163cmの春樹と171cmの夏海では、こういう状況では夏海のほうがずっと有利だ。夏海はチャックを開けるとすぐさま口に薬を入れ、準備していたコップ一杯の水を口に含み薬を流し込んだ。春樹はしばらく呆然としていた。そして顔を赤くして、怒りだした。
「お、お前・・・・・・何なんだよ、急に!」
「・・・・・・」
 夏海は顔を真っ赤にして、目に涙を浮かべながら春樹を見下ろした。春樹はそんな夏海に戸惑いながらも、咎めることをやめなかった。
「な、なんとか言えよ・・・・・・それが何なのか知ってんのか?」
「・・・・・・知ってる」
「じゃ、じゃあ・・・・・・お前、まだデカくなりたいのかよ」
「違う」
「はあ?」
「私は・・・・・・」
 夏海は眉間に皺を寄せ、目をあちこちに泳がせ、生唾を飲んだ。
「わ、私は、お兄ちゃんが大きくなるのが嫌なの」
「・・・・・・はあ?」
 春樹は意味がわからなかった。しかし夏海はそれを言うとすぐさま部屋に戻ってしまった。その後春樹が尋ねても、何も答えなかった。

*

「――――ってことがありました」
「ほう・・・・・・まあ、俺に女心はわからんが、夏海ちゃんはその後どうなったんだ?」
「もう、巨人ですよ・・・・・・ちょっと、引くくらい」
「何センチ?」
「数字はわかりませんが、2メートルはあると思います」
「何センチ伸びたことになるんだ? あと、一昨年の薬も夏海ちゃんが飲んだという可能性もあるんだよな」
「はい、おそらく。僕は去年も一昨年も10cmくらい伸びているので。夏海は、去年が15cmで、今年は30cmくらいじゃないかと」
「ふむ・・・・・・なるほど」
「それで、これが新作ですか?」
「ああ、根本的にリニューアルした」
 従兄弟はスーツケースから薬を取り出し、机の上に置く。その途端、どこからか夏海が現れて薬を取った。男2人が夏海の巨体に本能的な恐怖を感じ、体を硬直させている間に夏海はリビングから立ち去っていった。立ち去るとき、夏海はドア枠に頭をぶつけた。
「・・・・・・」
「・・・・・・すごいね、夏海ちゃんは」
「すごくなんてないですよ! あいつ、何がしたいのか・・・・・・もうよくわからないんです。全然喋らないし、デカい図体でやってること子どもだし」
「ふむ・・・・・・夏海ちゃん、薬は飲むんだろうか? 春樹に成長してほしくないって、いっていたんだろ。それなら夏海ちゃんが飲む理由はないはずだ」
「もうわかりません。そういう性癖なんじゃないですか? 男よりデカイ自分が好き、みたいな」
「ふむ・・・・・・」
 夏海は部屋に戻るなり、机の引き出しに薬をしまっては小さな布団にくるまりもがいていた。春樹たちが夏海の感情を読み取れないという以上に、夏海は自分の感情がよくわからなくなっていた。中学3年生になった春樹は174cmになり、やや高身長となっていた。ガタイもよくなり、顔つきも大人になっていた。身長200cmある夏海であったが、そんな春樹を下に見ることはできなかった。また、自分の行き過ぎた高身長に対してコンプレックスも抱きつつあった。しかし春樹に成長してほしくないという気持ちは依然として強かった。
 布団にくるまり気が狂うほど悩み、夏海はそのまま寝てしまう。その頃を見計らって、夏海の部屋にそっと出入りする人影があった。末っ子の志穂は左手に水の入ったコップを握りしめて夏海の部屋に入るなり引き出しをあさり、薬を見つけた。そして薬を口にいれ、水で流し込んだ。空になった袋には代わりに片栗粉を入れて、笑いを抑えながら慎重に部屋を後にした。夏海はその間、死んだように眠っていた。
 志穂は小学4年生にして160cmと、すでに学校で1番の長身を誇っていた。しかし当然、先生の中には志穂よりも背の高い人はいくらでもいるし、数カ月前に卒業した夏海と比べたら足元にも及ばなかった。志穂は、誰よりも背が高くなりたいと願っていた。子どもらしい、単純でひたむきな願いだった。

「ところで、新しい薬は何が変わったんですか?」
「まあ、色々だ。自然な成長をサポートすることには変わりないが、持続性を持つようになった」
「持続性・・・・・・」
「ああ、今年限りではない、来年再来年の成長まで見越して、無理のないように数年単位でサポートをする、といった感じだ」
「はあ、なんとなく・・・・・・」
「だから、夏海ちゃんが服用したところで、彼女の成長期はもう終盤だろうし伸びしろもそこまでなさそうだから、さほど効果はでないかもしれない。春樹は・・・・・・ちょっと微妙だな」
「あ、そうなんですね」
「ああ、一番効き目があるとしたら、志穂ちゃんじゃないかな。年齢的に」
「あいつ今のままでも2メートルいきそうなくらいですから、飲ませたらやばいですよ。小4で160ですよ。毎年10cmくらい伸びてますし」
「ハハハ、山村家にしても随分と大きい方だな」
「そうですよ。なんでうちは、妹ばかりデカくなるのか・・・・・・」
-FIN