初めての彼女

 僕に彼女ができた、可愛い彼女ができた。人生で初めての、彼女ができた。高校に入学してすぐ、同じクラスの彼女、前山恵さんのことを、一目見て好きになってしまった。好きで好きで、気がつけば僕の視線はいつでも前山さんの方を向いていた。
 ある日の下校途中、僕の前を前山さんが歩いていた。僕は無意識に彼女のことを見ていた。あまりにジロジロと見ると気分が悪いだろうから、控えめに、彼女のことを見ていた。すると突然、前山さんは僕の方を振り返った。僕は胸がドクンと跳ね上がるのを感じ、それから会釈した。前山さんも、会釈を返してくれた。
「佐藤くん、だよね?」
「あ、はい! 前山さん」
「佐藤くんも、いま帰りなの?」
「はい、そうです!」
 僕らはなんとなく、歩幅を合わせて一緒に帰った。多分、人生で2番目に幸せな時間だった。でもその幸福は期限付きで、僕らはとうとう、別れ道に差し掛かった。
「私こっちだから、またね」
「う、うん・・・・・・」
 別れたくない、けれども別れが来てしまった。こんなチャンスはもう来ないかもしれない、最後に何かを言いたい、でも、何を言えば・・・・・・そんなことを考えている間にも時間は過ぎて、前山さんの後ろ姿は段々と小さくなっていった。
「・・・・・・前山さん!」
 無意識に喉は音を鳴らし、体が走りだした。前山さんはこちらを振り返った。キョトンとした表情で、こちらを見ていた。
「どうしたの?」
「あの・・・・・・」
 呼吸を整えながら、次に何を言うか考える。緊張と息切れの相乗効果で心臓が悲鳴を上げている。それをどうにか無視して、僕は脳みそをフル活動させて、次に言うべきことを考えた。
「えーと、大丈夫?」
「あ、うん・・・・・・えーと・・・・・・明日も、一緒に帰りませんか?」
 ひねり出した答えはあまりに幼稚だった。僕は言ったそばから顔が赤くなるのを感じた。しかし前山さんはニコリと優しく微笑んで、言った。
「うん、いいよ!」
 僕は、彼女の優しさ、気高さに涙を流した。その後は家に帰って告白の台詞を考え、翌日、約束通り前山さんと一緒に下校して、告白して、幸運にも告白を受け入れてもらえて、今に至る。告白を受け入れてもらえた時、僕は人生で1番の幸せを感じた。僕に彼女ができた。人生で初めての、彼女ができた。可愛い、素敵な彼女ができた――――

 恋人がいるというだけで、モノクロだった僕の人生はフルカラーハイビジョンとなり、花が舞う、毎日が楽しくなる、生命力が湧いてくる。特別なことをしなくても、一緒にいるだけで幸せになれる。
「おはよー」
 肩の辺りから、僕に挨拶する前山恵さん――心の中では恋人らしく『恵ちゃん』と呼んでいる。恵ちゃんの身長は152cmで、僕は175cm。ちょうど、アゴの下に入るくらいのちょうど良い身長差。僕は、恵ちゃんに挨拶を返した。
「おはよう、前山さん」
 今日も恵ちゃんと一緒に学校に向かい、一緒に帰る。すでに日常と化したこの日課を、僕は今でも幸せに感じる。僕らが付き合って2ヶ月が経とうとしているが、その幸福感は未だ色褪せることはないし、その日が来ることを考えることができない。
 夏休みが目前に迫っていた。恋人と過ごす、初めての夏休み。さあ、どこに行こうか、何をしようか。僕にいる前山さんに尋ねた。
「夏休み、どこか行く?」
「うん、行こう!」
「じゃあ、そのうち会って話しあおうか。スーパーのベンチとかどう?」
「あ、いいね。いつにしようか」
「終業式の帰りとか。ちょっと遅いかな?」
「ううん、それでいいよ。私も色々調べていくね!」

そうして待ちに待った終業式の放課後、午前11時頃、僕らはスーパーのフリースペースで待ち合わせをした。クーラーが効いていて涼しく、また時間的に人も少ない。僕は前日にできる限りの情報収集をし、今日ここに来た。待ち合わせの場所にはすでに恵ちゃんがいて、雑誌を広げていた。
「おまたせ、待った?」
「ううん、大丈夫!」
 僕はカバンから、プリントアウトした資料やメモを取り出し彼女に渡す。
「すごーい、これ全部調べたの?」
「うん、頑張った」
「いっぱいあるね! どこに行こうかなー」
 前山さんは資料をパラパラとめくり始める。僕は彼女の隣に座る。恵ちゃんが喜んでくれたようで嬉しいが、資料作成のおかげで、今日は寝不足だ。
「あっ! ねーねー、これ楽しそう!」
「ん? どれどれー」
 僕らは夏休みの予定について、色々と話し合った。ほのぼのとして、幸せな時間だった――

***

 予定はおおよそ決まり、僕らは帰路につく。最初のイベントは1週間後のプールだ。
「楽しみだねー、どんな水着着て行こうかなー」
 楽しそうにつぶやく恵ちゃんの隣で、僕の脳裏にふと肌色のイメージ画像が浮かび上がる。僕は瞬間的にそれを手で払った。そしてその瞬間、恵ちゃんが僕に寄りかかってきた。驚きで心臓がドクンと跳ね上がり、緊張で鼓動がバクバクと速まるのを感じた。
「えへへ・・・・・・初めての、デートだね。嬉しい」
「・・・・・・うん」
 付き合ってもう2ヶ月になるが、僕らは未だに苗字で呼び合い、今までデートもしたことがない。照れくささからメールでのやりとりも用があるときにとどまり、恋人らしいやりとりをほとんどしてこなかった。朝の登校くらいが、辛うじてその括りに入れるに足るものだった。しかし今ようやく、僕らは恋人として過ごすことができるのだ。
 僕は恵ちゃんの肩を持ち、自分の方に寄せる。小柄な彼女は、僕のアゴの下にちょうど・・・・・・入らない。僕は首をかしげる。以前は、それくらいの身長差だったはずだった。
「・・・・・・前山さん、身長伸びた?」
「えっ?」
 恵ちゃんは頭に手を当てて、首を横に倒す。その仕草は彼女らしくて可愛らしい。しかし、以前よりも若干大きいように感じる。
「・・・・・・言われてみれば、佐藤くんが小さくなった気がする」
「うん、160cmくらいある気がする」
「ほんと?」
 そう言って、恵ちゃんは背伸びをした。僕の目の前に、彼女の顔がくる。彼女は嬉しそうに、微笑んだ。
「佐藤くんと一緒だ!」
「いや、それは背伸びしてるからでしょ!」
 僕も負けじと、背伸びして恵ちゃんよりも大きくなる。すると彼女は顔をひきつらせるほどに思いきり背伸びして、僕に追いつこうとする。そんなくだらない争いをしばらく続けてから、僕らは同時に吹き出した。
「あはははは、佐藤くん何ムキになってんのー?」
「それは、前山さんもでしょ!」
「あははは! あはは」
 それから僕らは笑いながら一緒に帰る。僕はその日、彼女との仲が一歩前進した気がした――――

 1週間後、デート当日。僕は待ち合わせの駅で恵ちゃんが来るのを待っていた。すでに何度も確認したカバンの中を再度確認しながら、待っていた。
「おはよー」
 声のした方を振り向くと、恵ちゃんがいつもの優しい笑顔で、そこにいた・・・・・・妙な違和感を覚えた。その正体は直ぐにわかった。
「・・・・・・また身長伸びた?」
「うん! もう佐藤くんとあまり変わらないね」
 恵ちゃんは手を自分の頭の上に置き、そのまま僕の方にスライドさせる。恵ちゃんの手は、僕の頭をかすった。若干恵ちゃんの方が小さい気がするが、ほとんど変わらない。
「じゃ、行こ!」
「あ、うん」
 僕は恵ちゃんに手を引かれて、改札口に行く。彼女の背中は以前に比べてずっと広く、長く、しかし僕よりは細く華奢で、そして美しい。僕はそれに、以前の小柄な恵ちゃんの背中を重ねた。
 プールに到着し、入場券を買って更衣室に入り、別々に着替えて、プールで待つ。少ししてから、恵ちゃんが更衣室から出てくる。・・・・・・彼女の水着姿に、僕はしばらく見とれてしまった。
「・・・・・・キレイ」
「え・・・・・・ありがと。じゃあ、行こうか!」
 水着姿の恵ちゃんは本当にきれいで、プールでは人々の目を引いていた。時々知らない男が恵ちゃんをナンパすることもあったが、僕は勇気を出して恵ちゃんの手を引いて、そんな輩から逃げた。
 楽しい時間はあっという間に過ぎていき、プールを後にして夕日に照らされながら、僕らは家に帰る。遊び疲れてさすがにお互い口数が少なくなった。僕はセミの鳴き声を聞きながら、彼女と一緒に黙々と道を歩く。以前は僕のほうが歩幅を調整したり、屈んだりしていたけれど、今は自然と歩幅も目線も一緒になる。これくらいの身長差もいいなと、僕は思った。
「・・・・・・今日は楽しかったね!」
 横を見て、恵ちゃんに話しかける。しかし返事はなく、恵ちゃんは暗い表情をして俯きながら歩いていた。僕は心配になって、彼女に再度声をかける。
「恵ちゃん、どうしたの?」
「・・・・・・」
 また、返事がない。僕は声を張って、もう一度尋ねる。
「恵ちゃん!」
「えっ! あっ・・・・・・う、うん。どうしたの?」
「なんか顔色悪いよ? もしかして、体調悪い?」
「い、いや、全然大丈夫だよ!」
 そう言って、恵ちゃんはニコリと微笑んだ。笑顔の奥に見える、どこか暗い影・・・・・・今の僕にはそれが作り物だとわかる。僕は再度、恵ちゃんに尋ねる。
「なんか暗い表情していたけど、どうかしたの?」
「あー・・・・・・」
「遠慮せず、何でも言ってよ!」
 僕は彼女に向かってニコリと微笑んだ。恵美ちゃんはしばらく考えこんでから、ため息をついた。
「・・・・・・あとでメールで言おうと思ったんだけど、やっぱり今じゃないとだめだよね・・・・・・」
 恵ちゃんは、小さい声でゆっくりと語リ出す。僕はそれを、真剣に聞いた。
「あのね・・・・・・すごく申し訳ないだけど、私、田舎の叔父さんの所に行かなくちゃいけなくなったの。叔父さん農家なんだけど、叔母さんがギックリ腰やっちゃったみたいで、それで、代わりに・・・・・・」
 聞いていながら、気分がだんだんと落ち込んでくる。胸がぎゅっと締め付けられていくのを感じる。
「だから、夏休みの他のデート、全部キャンセルになっちゃうの・・・・・・ごめん」
 僕はしばらく開いた口が塞がらなかった。楽しみにしていた恵ちゃんとのデートが全てなくなる。夏休み後にすれば良いのかもしれないが、付き合って初めてのこの夏休みを特別に思っていた僕にとって、それでは感情的に収まらなかった。そんな僕の表情を汲み取ったのか、恵美ちゃんははっとして、謝リ始めた。
「ご、ごめん! でも・・・・・・そうだ、佐藤くんも一緒に来るとか! ・・・・・・ごめん、イヤだよね農作業なんて。叔父さん、こき使うと思うし」
 その恵美ちゃんの言葉で、真っ暗な目の前に、一筋の光が差し込む。
「行ってもいいの?」
「え?」
 恵ちゃんと夏休みの間離れてしまうくらいなら、そちらの方が良い。僕は自然と、そう思った。
「僕が行っても、いいの?」
「う、うん、多分。人手不足で私が行くくらいだから」
「行きたい」
「え・・・・・・本当に、いいの? 農作業だよ。大変だよ」
「うん、恵美ちゃんと別れるくらいなら、行きたい――」

 1週間後、僕はキャリーバッグを持って、駅の前に佇んでいた。恵ちゃんの叔父さんは僕が行くことを快諾してくれ、僕は今日からしばらく、そこでお世話になる。
 ・・・・・・よく考えてみれば、これは同棲みたいなものだ。お母さんにこのことを伝えたら、ニコニコしながら無言であるモノを渡してくれて恥ずかしくなったが、実際にそうなるかもしれない。そう考えると、自然と鼓動が激しくなる。
「お、おはよー・・・・・・」
 恵ちゃんの声がして、僕は煩悩を振り払うつもりで、勢い良く横を見る・・・・・・彼女の鎖骨と下着が見えた。僕はそれに赤面して目をそらし。もう一度真横を見るとまた、鎖骨が映った。上の方に、恵ちゃんの顔が見えた。
「な、なんかまた伸びちゃった・・・・・・」
 恵ちゃんは困惑した表情で、僕を見下ろしていた。ヒールを履いているのかと足元を見たが、腰から伸びた脚はそのまま地面まで伸び、先にはいつものスニーカーがある。
 僕らはなんとなく気まずい空気のまま、改札を通り電車に乗る。電車の入り口は恵ちゃんにとっては額くらいの高さで、背中を曲げて、ドアをくぐって電車に乗りこむ。以前は僕のアゴの下に恵ちゃんが入ることができたが、今では逆で、僕が恵ちゃんのアゴの下に入れる。
 周囲からの無神経なささやきを聞きながら僕らは駅を歩き、新幹線に乗り換える。恵ちゃんの脚は長く、膝が前の席についてしまうほどだ。それでいて、座高は僕よりも5cmくらい低い。
「・・・・・・身長、伸びたね」
「・・・・・・うん、伸びちゃった。なんか毎日4cmくらい伸びていって、今朝測ったら202cmだったの」
 それから恵ちゃんは上目遣いで僕を軽く見上げて、言った。
「佐藤くんは、こんなにデカイ女って、嫌だよね? 2メートルなんて・・・・・・」
 僕はその返答に困った。たしかに自分より小さかった恵ちゃんが急に大きくなったことには驚いたが、恵ちゃんは恵ちゃんだ。身長が伸びたからと言って性格がガラリと変わったわけでもない。僕は恵ちゃんが好きだ。
 ただ・・・・・・これをどうやって伝えよう。今の恵ちゃんにそのまま「嫌じゃない」と言っても、分かってもらえないだろう。前みたいに、ただニコリと微笑んでくれるだろう。
 僕は少し考えて、恵ちゃんの頭を撫でることにした。恵ちゃんは、顔を赤くした。
「え・・・・・・」
「なんて言うか、大きくなっても恵ちゃんは恵ちゃんだからさ。そんなに気にしなくていいよ」
「・・・・・・こんなに大きくても?」
「うん、全然平気だから」
「・・・・・・」
 それから、恵ちゃんの機嫌は段々と良くなり、僕らはほのぼのとおしゃべりで盛り上がりながら、目的地まで楽しい時間を過ごした。
「ねえねえ、これから佐藤くんのこと、啓くんって読んでもいいかな?」
「いいよ、好きに呼んで」
「ありがと・・・・・・啓くんさ、先週からさりげなく名前で呼んでくれてるじゃん。嬉しい」
 僕はそれを聞いて、顔が火花を散らし、反射的に口元を手で隠す。心の中では最初の方から『恵ちゃん』と呼んでいたが、いつから本人にそんな呼び方をしていたのか・・・・・・全くの無意識だ。一方で恵ちゃんは、そんな照れる僕を見て、「かわいい」と言っていた――

「いやー、よく来てくれたねー!」
 叔父さんは僕を見るなり握手で迎えてくれた。握力は強く、僕はこれからの生活を上手くやっていけるのだろうかと、少々の不安を覚える。
「メグちゃん、でっかくなったねー!」
「はい、大きくなりました!」
 挨拶を済ませ、叔父さんの家に入る。恵ちゃんはドアを軽くくぐりながら家の中を歩いた。僕らは昼食づくりから始め、昼食を食べ終えたら直ちに作業に取り掛かる。叔父さんと一緒に畑をめぐり、作業内容を教わる。恵ちゃんは何度かやったことがあるようで、僕よりもずっと手際よくこなしていた。
 ひと通りの作業を終える頃には日が暮れ、僕らは一緒に家に戻る。家に帰ってからは夕食づくりが始まり、僕らその日終始慌ただしく過ごした。恵ちゃんと一緒の部屋で寝られるのはとても嬉しかったが、疲れ果てておしゃべりもできなかった。
 翌日、軽い筋肉痛を覚えて、僕は起きる。恵ちゃんも、ほぼ同時に起きた。
「おはよー、体が痛いよー」
「おはよう、僕も痛い」
「えへへ、一緒だねー」
 僕らは布団を干すため、ガラス戸を開けて庭に出る。台所ではすでに、叔父さんが朝食を作っているらしい。
「いたっ!」
「どうしたの?」
 声のする方を振り返ると、恵ちゃんは家の中で額に手を当てしゃがんでいた。ぶつけたと思われるところが、くっきりと赤くなっている。
「いったーい・・・・・・頭ぶつけちゃったー」
 そう言いながら、恵ちゃんは立ち上がり、ガラス戸の枠を触る。ちょうど額くらいの位置に、それがあった・・・・・・昨日はまだ、軽くくぐる程度だったはずだ。
「恵ちゃん、また身長伸びたんじゃない?」
「うん、そうかも。最近ずっと伸びてるし。いくつくらいだろう・・・・・・」
「測ってみようよ。おじさーん、メジャーとかありませんか?」
 布団を外に干した後、恵ちゃんに柱を背に立ってもらい、僕が椅子に乗って、恵ちゃんの頭の位置に印を付けてからメジャーで測る。結果は、208cmだった。
「6cmも伸びてるー」
「まだまだ伸びるかもね」
「うーん、なんかちょっと複雑な気持ち・・・・・・」
 それから僕らは、昨日と同様に、叔父さんに指導されながら作業をして、1日を過ごした。筋肉痛に殺されると最初は思ったが案外やっていけるものだ。僕は要領を掴み、恵ちゃんと同じくらいのペースで作業ができるようになった――

「215cm、7cm伸びたね」
「なんかどんどん伸びちゃうねー」 
 僕らは昨日と同様にして、恵ちゃんの身長を測る。ドアの枠は丁度目線の位置にあるらしく、死角となって頭をぶつけることはもうないらしい。
「このまま、家よりも大きくなっちゃったりしてね」
 僕は意地悪な心を出して、そう尋ねる。しかし恵ちゃんは僕を見下ろして、ニコッと柔らかく微笑んだ。
「えへへ、そうかもねー」
「ん・・・・・・ポジティブ?」
「うん、なんか吹っ切れちゃった」
 そう言って恵ちゃんは遠くを見つめた。215cmからの眺めはどんな感じなのだろうかと、僕はなんとなく思った。
 翌日、恵ちゃんは15cm伸びて230cmになっていた。
「いっぱい伸びたねー!」
「う、うん」
 恵美ちゃんはいつもどおりの笑顔で僕を見下ろすが、あまりに常識はずれな急成長に、僕は顔をひきつらせる。恵ちゃんの頭は天井スレスレで、明日になれば天井よりも大きくなってしまうだろう。昨日の冗談が、早くも本当になろうとしている。
「・・・・・・恵ちゃん」
「んー?」
 のんきそうに、僕の方を見る。
「・・・・・・なんか、怖かったりしないの?」
「うーん、ちょっと前までは怖かったけど、今はー・・・・・・」
 そう言って恵ちゃんは笑顔で、僕に手を伸ばす。僕は本能的に危険を察知したが、すでに手遅れで、体を流れに任せた。恵ちゃんは屈んで、僕の脇の下に手を入れて、僕を持ち上げた。並ぶと僕は恵ちゃんの胸よりも背が低く、まるで保育園児になったような気分になる。
「なんか、啓くんがかわいく思えてきちゃって・・・・・・」
 恵ちゃんはそう言うと、手を持ち替えて、僕を抱きしめた。僕は恥ずかしさと安心感と背徳感その他諸々の感情が混ざり合い、抵抗することもできず思考が停止し、脱力していくのを感じた。
「えへへ、啓くんかわいい・・・・・・私がもっと大きくなったら、もっとかわいくなるね」
 そんな不穏なことをつぶやきながら、恵美ちゃんは僕を子どものようにぎゅっと抱きしめた。

 翌日、僕の頭の位置にはおヘソがある。背伸びして手を上げれば、恵ちゃんの肩に触れる事はできるが、頭を撫でることはもうできない。
「啓くんがどんどん小さくなるね!」
 恵ちゃんはそう言って、おヘソの位置にある僕の頭を撫でる。恵ちゃんの身長は260cmで、当然天井よりも大きい。もう少しで、家の屋根よりも大きくなってしまう。そんな大きな恵美ちゃんに、伯父さんがある提案をした。
「メグちゃんはでっかいねえ。どう、今日は森の方で作業しないか? 林業やってる仲間が人手不足で困ってるから」
「あ・・・・・・はい、いいですよ」
「悪いなあ。その代わり少し早めに切り上げるから、夜はゆっくり仲良く休んでくれや!」
 そう言って、叔父さんは僕にウィンクした僕はパッと顔が熱くなるのを感じた。はるか頭上の恵ちゃんも、そんな感じだった。
 その日の作業は少し早めに切り上げられて、僕らは寝る前に、数日ぶりに2人きりのおしゃべりを楽しんだ。
「覚悟はしていたけど、やっぱりキツイね。宿題持ってきたけど、全くやる時間ないよ」
「私も、こんなに本格的に手伝ったのは初めて」
 僕らは横になっておしゃべりしながら、なんとなく、手を合わせる。身長差はものすごいが、手の大きさは、大きいには大きいのだが関節1つ分くらいしか変わらない。恵ちゃんは10頭身くらいあって小顔だからそうなるらしい。
「・・・・・・ねえ啓くん」
「うん?」
「今日は30cm伸びて、昨日は15cm伸びて、一昨日は7cm伸びてるから、明日は60cm伸びて320cmになっちゃうのかな?」
「・・・・・・さすがにもうそろそろ、止まるんじゃない?」
「そうかなあ? ・・・・・・うふふ、もう寝ようか。明日も早いし」
「うん、お休み」
 恵ちゃんの予想が当たったらどうなるのかと思いながら、僕は眠りについた。

「なにキミ、昨日は何もしなかったのか?」
「おしゃべりだけして、寝てしまいました」
「はあー、もったいないなあ。で、メグちゃんいくつになった?」
「えーと・・・・・・320cmです」
「えへへ、当たっちゃったね。明日は440cmかな?」
「・・・・・・そうかもね」
 恵ちゃんは平屋建ての叔父さんの家とほぼ同じくらいの高さになった。僕は股くらいの高さしかないし、当然家の中ではハイハイで移動する。
「明日からどこで寝るの?」
「お外にビニールシート引いてでいいんじゃない? 啓くんはどうする? 寒かったら、私が抱きしめてあげるよ!」
「うーん・・・・・・」
 僕は、自分が恵ちゃんに抱かれながら寝る様子を想像してみた。聞こえは奇妙だが、これだけの体格差だと、並んで寝ている今とあまり状況は変わらないように思えるし、案外悪くないような気がした。何より、恵ちゃんを1人にしたくないとの思いがあった。
「・・・・・・うん、そうする」
「おっけー! じゃあ、私は今日も森に行くから」
「うん、またね」
「えへへ、バイバーイ」
 僕は今日も作業をする。とはいっても、もうやることはあまりない。日課的な作業のみであり、お昼をすぎる頃には終わっていた。僕は宿題をやりながら、夕食までの時間を潰した。
 夜になり、外の適当な所に大きなビニールシートを引き、その上で寝転がる。下は土で柔らかく、また熱が逃げないせいか温かい。
「あったかいねー」
「うん、毛布なんて、なくても良かった」
 初めての野宿は開放的で想像していたよりもずっと気持ちがよく、僕らは直ぐに眠りについた。

 目を覚ました時、僕は恵ちゃんに抱きかかえられていた。今日の恵ちゃんの頭や肩幅は僕の倍くらいあり、僕は本当に、人形になったようだ。恵ちゃんは目を開いた後、しばらく周りを見渡してから、自分の胸元を見た。
「・・・・・・あ、ここにいた。啓くんおはよう」
「おはよう、また大きくなったね」
 恵ちゃんは僕を抱きかかえたまま、立ち上がる。僕は初めて恵ちゃんの高さを体験することになったが、予想よりもずっと怖い。家の屋根が、いくらか下に見えるくらい、高い。
「うわー、お家ちっちゃい」
「恵ちゃんが大きいんだよ!」
「明日には、えーと・・・・・・680cm? どれくらい高いのかな?」
 僕は最近まで恵ちゃんの異常な成長について多少は心配をしていたが、いつもと変わらない恵美ちゃんを見て、ついに馬鹿らしくなってしまった。家より大きいからといって何がいけないのか、恵ちゃんは恵ちゃんじゃないか。普通に生活ができているのだから、それで良いではないか。
伯父さんが手に何かを持って、僕らの方に歩いてくる。
「おはようメグちゃん、ケイくん。今日からこれで測ってみよう」
「あ、それ。レーザーでピピっと測るやつ!」
「そうそう。メグちゃん、下からレーザー当てるから、身長くらいの位置に、手をかざしてみて」
 恵ちゃんは僕を地面に下ろしてから腕を横に出し、身長くらいの位置で手のひらを上げた。叔父さんは地面にその機械を置き、手のひらに向けてレーザーを当てる。
「えーと、440cmくらいだね」
「うん、予想通り!」
 昨日は頭の辺りにあった恵ちゃんの股はずっと上にあり、唯一の比較対象は、ちょうど胸の位置にある彼女膝だけになってしまった。明日には、膝も僕の背を超えてしまうのだろうか――

「680cm、順調だな!」
「うん! 明日は1160cmだよ!」
「メグちゃんがでっかくなって、みんな助かってるよ。ありがとう!」
 恵ちゃんの膝は僕よりも10cmほど背が高くなった。ちなみに股は家よりもずっと高い。その気になれば、恵ちゃんは家を脚の間に挟んで仁王立ちができてしまうだろう。また、恵ちゃんの手の長さは僕の肩幅よりも長くて、その気になれば、僕を片手で掴めてしまうかもしれない。
「啓くん、お人形さんみたいだね」
「恵ちゃんにとっては、家だってドールハウスみたいでしょ」
「えへへ、みんな小さいなあ。かわいい」
 恵ちゃんは地面に正座しながら、家の屋根を撫でる。正座していても、恵ちゃんの方が少しだけ高い。
「よし、じゃあ啓くん作業始めよう! メグちゃん、またね」
「バイバーイ、啓くん頑張ってねー」
「恵ちゃんもねー」
 とは言ったものの、僕らは昨日に引き続き、暇な日々を送ることになる。森の方の手伝いをしたいと叔父さんに言ったが、どうせ今日で全部が終わると返された。
「今までありがとう、ばあさんの腰も治ってきたし、もう大丈夫かもしれん。助かった」
「いえ、結構楽しかったので、大丈夫です」
「それは良かった。そうだ、スイカ食うか? メグちゃんには悪いが、まあ夕食にも出すさ」
 伯父さんは慣れた手つきでスイカを切り、僕に振る舞ってくれた。とれたてなのか、実がみずみずしく、都会で食べたのとは何かが違う。スイカの生命力のようなものを感じる。
「美味しいです」
「うまいだろ! はっはっは」
 僕は夢中になって、スイカにかぶりつく。恵ちゃんには悪いと思ったが、それくらい美味しかった。
 スイカを食べていたら、急に外が暗くなった。雨かと思い、僕は畑の方を見る・・・・・・正座した恵ちゃんがそこにいて、太陽の光を遮っていた。
「おじさーん、作業終わったんで帰ってきましたー」
「おーお疲れさん。早かったなあ!」
 僕はスイカを急いで飲み込み、外に出る・・・・・・妙な感じがした。恵ちゃんは正座をしているのだが、家の中から見えたのは、恵ちゃんの太ももだけなのだ。
外に出て恵ちゃんを見上げると、僕はその違和感の原因を理解すると同時に、戦慄を覚えた。恵ちゃんが、今朝の2倍くらい大きくなって帰ってきたのだ。
「なんかまた成長しちゃったみたいで、それで作業がすぐに終わりました」
「はっはっは、良いことじゃないか。ウチももうやることないし、せっかくだし2人で散歩でもしてきな!」
「はーい! じゃあ啓くん、一緒に行こう!」
 恵ちゃんは両手で器を作って、それを僕に差し出す。僕は恵ちゃんの手に乗った。体がちょうどその中収まった。
「じゃあ、行ってきまーす」
「行ってらっしゃい!」
 僕らは一緒に散歩する。もっとも僕の場合は、自分の足で歩いているわけではないので、遊覧と言ったほうが良いかもしれない。恵ちゃんは鼻をふんふん鳴らして、手を、そしてその中の僕を嗅ぐ。
「ねえ、もしかしてスイカ食べた?」
「あ・・・・・・ごめん、叔父さんに進められて」
「いいなースイカ。美味しいよねえ・・・・・・お昼にこうやっておしゃべりするの、初めてだね」
「あ・・・・・・うん・・・・・・」
 やっと、恋人らしい事ができたと、僕は思った。一緒に寝たり、抱き合ったりはしたけれど、この体格差のせいで何かが違うと思っていた。しかし今は、普通に恋人としてデートをしているような気分に浸ることができた。
 恵ちゃんはゆっくりと歩き、僕は恵ちゃんの手のひらから外を眺める・・・・・・段々と、高さが増していく気がした。
「なんか、まだ大きくなってる?」
「そう、なんかドンドン大きくなってるの。どこまで大きくなるのかな?」
 狭かった恵ちゃんの手のひらが段々と大きくなっていく。始めはギリギリあぐらをかけるくらいの広さだったが、今では横になって寝ることもできる。僕は興味本位で、寝転がってみた。床が柔らかく、まるでソファーで寝ているように、心地が良い。
「啓くん、おつかれ? トントンて、しようか?」
「・・・・・・うん」
「えへへ、啓くんハムスターみたい。かわいい」
 こうして眠りにつくのは、いつぶりだろうか? 恵ちゃんは穏やかなテンポで僕の脇腹を、親指の腹でトントンと叩く。眠りを誘われ、段々と意識が遠のいていく――――

***

「ねえねえ佐藤くん、そろそろ起きないと」
 指でゆすられて、上から恵ちゃんの声がして、僕はゆっくりと目を開けた。目の前にあるものは、僕と同じ大きさの人と、人工的な白い建造物・・・・・・僕ははっと目を覚まし、体を起こした。隣で恵ちゃんが、びくりとしたのが見えた。恵ちゃんは僕と同じ大きさで、僕よりいくらか小さくなっている。
 僕は再び辺りを見渡す。空は少々赤いが、太陽はすでに沈み、これから夜に向かっていくようだ。ポケットを触るとそこには携帯が入っており、開くと日付は7/20となっていた。終業式のあった日だ。そして横を見ると、小さい恵ちゃんが僕の方を、不安そうにいる。
「さ、佐藤くん、大丈夫? あまりぐっすり寝てるからそっとしておいたんだけど、もしかして具合悪かった?」
 小さい恵ちゃんが、僕に話しかけてきた。寝ぼけていた頭が段々と整理されてくる。・・・・・・全ては夢だったのか? 確かに夢のような出来事だったが・・・・・・夢だったのか・・・・・・
「・・・・・・佐藤くん?」
「あ、いや、大丈夫・・・・・・ごめん、何やっていたんだっけ?」
「夏休みにどこに行こうかって。でも佐藤くん、ここに来て直ぐ寝ちゃって・・・・・・もう! 私、恥ずかしかったんだよ。佐藤くんてば、私の膝を枕にして寝ちゃうんだもん。起こすのもなんかアレだし、周りにはクスクス笑われるし・・・・・・」
 恵ちゃんは顔を赤くしてそんなことを言ってから、はあ、とため息をつく。あまり怒っていないようで、僕は安心した。
「まあいいや、夏休みは始まったばかりだし。明日また、ここで話しあおうね。じゃあ、今日は帰ろうか!」
「あ、うん。ごめんね」
「ううん、大丈夫・・・・・・ちょっと、楽しかったし」
「え?」
「ううん、なんでもない。さ、帰ろ!」
 恵ちゃんに言われて、僕は荷物をまとめて立ち上がる。恵ちゃんは僕より小さく、アゴの下に収まってしまいそうなくらい、小さい。
「恵ちゃんて、身長いくつだっけ?」
「えっ! ・・・・・・あっ、えーと、152cmだよ! どうして?」
「いや、なんとなく、気になっただけ」
 僕らは一緒に、スーパーを後にする。周りの人が、こちらを見てニヤニヤと笑っている。僕は、自分が彼女の膝で長時間寝ていたという事実を思い出して、赤面した。
「ねえ、恵ちゃん、ごめんね。なんか、色々と・・・・・・」
「う、ううん、大丈夫! ほら、もう暗くなっちゃうし、急いで帰ろ!」
 僕はコクリと頷く。実際のところ、壮大な夢から目が覚めたばかりで、夢と現実の区別があまりついていない。横を見れば、僕より頭ひとつ小さい恵ちゃんが顔を赤くしていて、早歩きしている・・・・・・なんだか、とても懐かしい。
「・・・・・・かわいい」
「えっ?」
 ふと、口に出してしまった。目の前の小さい恵ちゃんは、赤かった顔をさらに赤らめて、言った。
「も、もう、佐藤くんどうしたの! 急に私のこと名前で呼ぶし、真顔で可愛いとか言ってくるし・・・・・大丈夫? 熱でもあるの?」
「え・・・・・・」
 はじめ、何を言っているのか分からなかった。しかし徐々に、彼女の言っていることが理解できてきた。そしてさっきまでの自分の行動を思い返し、顔が熱くなり、汗が吹き出した。
恵ちゃんとは恋人同士ではあるが、まだそこまで関係は深まっていないのだ。苗字で呼び合い、デートもせず、メールもあまりしない、そんな関係なのだった。
「あ、これは・・・・・・ちょっと、変な夢を見ていて」
「変な夢? ど、どんな感じの? もしかして、アレな感じの、アレな夢とか?」
「あーいや、そんな変て言うか・・・・・・」
 周りの人は僕らを見て、またニヤニヤとしていた。僕はそれに赤面しながら同時に目の前の小さな彼女をどうにかしてなだめようと、僕は必死に頭と体を動かした。
-FIN

創作メモ

この作品は,お題箱でのリクエスト「 ごくごく普通152cmくらいの女の子が少しずつ大きくなっていって本人は困惑しつつもいっこうに大きくなるペースがどんどん速くなっていって最後は前の日の倍のペースで巨大化していってしまう話.女の子は最初から最後まで一貫して穏やかで優しい子」を元に作りました.600cmくらいのRGTSも好きです.大きくなっても女の子,というのが好きです.