低身長コンプレックス

「くっそー、届かねえ」
 ぴょんぴょんと惨めに飛び跳ねながら、コンクリート壁の上に乗ったボールを取ろうと無駄な努力をする男子たち。そんな彼らを私は少し離れたところから、にやにやしながら眺めていた。
「小田連れてくる?」
「あいつ、どこにいんのかなー」
 助けを求める相談をする、哀れな男子たち。そんな彼らのために、私は参上してボールをひょいと取ってみせる。
「はい、どうぞ」
「あ、太田」
「ふふ、男の子なのに、ちっちゃいのねー」
 ふっと鼻で笑い見下すと、男子は反抗的な上目遣いを私に向けてきた。ふふ・・・・・・こんな瞬間が、とても面白い。私の目の前には彼の頭頂部が見える。平均的で、小さな男の子。
「相変わらず、嫌みな奴」
「まあまあ、でもボール取れてよかったじゃん」
 そんな男子らを見下しながら、私は颯爽と去った。身長180cm、男子でも私より高い人はめったにいない。男子を見下し、女子からは格好いいと羨望のまなざしを向けられる、そんな完璧なスタイル。私の自慢、日本の自慢。そんな完璧な私。

 背筋をピンと伸ばして道を歩く。誰もが私に注目する。気持ちがいい。私を褒める言葉を聞くのは気持ちがいいし、嫉妬されるのも気持ちがいい。完璧な私を前にして、誰もが私に目が釘付けになる。そんな瞬間、我ながらうっとりしてしまう。
 電車を乗り継ぎ、自宅の最寄り駅に着くころ。段々と人影が少なくなり、私の不安も次第に大きくなっていった。私の美貌は人に見られることで意味を持つのに、それがなくなってしまうと途端に私は不安に襲われるのだ。そして、見たくもない現実を、家では見せつけられてしまう。
 重い腕を上げて、ドアを開ける。ドアはすでに開いている。その事実が私の気分を沈ませた。
「・・・・・・ただいまー」
「おかえり!」
 ひょこっと顔を出す妹の姿。少し前まではかわいかったのに、今は・・・・・・
「あれー、お姉ちゃんちっちゃいねー」
 といいながら、妹は私の頭を撫でるのだ。181cm、それが妹の身長。春の測定でとうとう、私よりも1cm抜かしてしまった。1cm、たったの1cmだけど、負けは負け。妹に頭を撫でられるという屈辱を味わいながら、私はため息をつくほかなかった。

 妹は毎日のように、私の頭を撫でてくる。そしていつもこう言う。
「お姉ちゃん、ちっちゃくなったねー」
 妹は食欲旺盛で、私の2倍くらいよく食べる。そして私の相対的に少ない食事量を見て、いつもこう言う。
「お姉ちゃん、いっぱい食べないと、大きくなれないよー」
 学校とは真逆な自分の立場に、私は嫌になる。そして学校に行くなり、私は家でのストレスを発散するように、男子をからかって楽しむのだった。
「今日も小さいのねー」
 そう言いながら男子の頭を撫でて貶すのが私の日課だった。

「お姉ちゃん、ちっちゃくなったねー」
 今日も妹に遊ばれて1日が始まる。毎日されるとさすがに慣れてきて、最近は無視するようになった。しかし、妹が日に日にデカくなっていくようで、私は気が休まることはなかった。
 中学時代、私は20cm伸ばして今の身長になった。もしも妹がそうなったらと思うと・・・・・・これまで以上にバカにされていくと思うと、心が重くなった。
「ねえお姉ちゃん、昨日身長測ったんだけど、いくつになっていたと思う?」
 にやにやしながら私を見てくる妹。しかしそんなむかつく表情以上に、私は妹の発言そのものに驚いた。
「いくつに・・・・・・?」
「うん。伸びてたんだー」
「伸びてたって、まだ1か月しか経ってないじゃない」
「そう、成長期みたい!」
 胸を張る妹。その膨らみは唯一私の方が勝ってはいるものの、おそらく私以上に成長していくように思えて私は一層気が沈んだ。
「正解は、182.7cm。1.7cmも伸びたよ! たった1か月で」
 妹は私の頭を今まで以上に荒々しくわしゃわしゃと撫でてきた。
「へへ、お姉ちゃんが、もっとちっちゃくなるねー」
 小さい子を扱うような、そんな慈愛に満ちた表情で、妹は私のことを撫でてくるのだった。そんな屈辱以上に、私は妹のセリフにショックを受けた。彼女はどこまで大きくなっていくのだろうか、どれほどの身長差をつけてしまうのだろうか。それを考えるだけで嫌になった。

 身長伸ばしたい、身長伸ばしたい。私はここ最近、そんなことばかり考えている。高校生だから、まだ伸びしろはあると思う。3cmくらいなら伸びるかもしれないけど、妹は多分中学生の3年間で30cmくらいは伸ばすんだと思う。そうなったら、もう薬に頼る他はないじゃない。私はインターネットを漁って、身長を伸ばす薬を調べまくった。たまに怪しいサイトに入って警告が出るときもあったけれど懲りずに調べ続けた。
 そして、一番信ぴょう性の高そうな薬を見つけることができた。その値段、50粒で5000円。決して安くはないけれど、これで私の身長が少しでも伸ばせると思うととても安く思えた。
 私は思い切ってそれを購入した。商品説明には、成長期のスパートに磨きをかけるとあった。つまり、年に10cm伸びる予定の子が薬を飲むと20cm伸びたりするらしい。私の成長期はもう終盤に差し掛かっている感じがするけれど、まだ希望は捨てたくない。自分の伸びしろを信じて、私はそれを購入した。

 薬が届いたその日から、1日1粒欠かさずのみ、私は毎日身長を測った。180.1cmだった私はぐんぐんと身長を伸ばしていった。初めは誤差か遅れた成長期とかだと思ったけれど、過去最高の成長具合に私の疑いの目は日を追うごとに晴れていった。1週間で約1cm伸び、2週間後には182.4cmになっていた。たった2週間で2.3cmも伸びた。妹の、2倍くらいの成長速度。すくすくと伸びていく自分が気持ちいい。
 3週間もすれば妹を抜かすようになり、私は純粋に嬉しくなった。それと同時に、妹からは変な目を向けられるようになった。
「なんかお姉ちゃん、大きくなった」
 ちっちゃくなった、から大きくなった、に変わり、私は思わず口を緩ませる。私は今、若干妹を見下ろしているような気がする。少なくとも、私より大きくはない。そんな今の状況が、死ぬほど嬉しい。
「うーん、遅めの成長期、来たのかも!」
 妹が成長期を自慢していたように、私もしてやる。学校と同じように、胸を張って自分の長身を自慢する。妹は首をかしげながら、私の頭をぽんぽんと撫でる。以前よりも高い頭の位置に、妹の顔が引きつったように見えた。
「なんか変。お姉ちゃんが大きいなんて」
「ふふ、あんたは小さくなったわねー」
 妹と同じように、頭を優しく撫でてやる。悔しそうに頬を膨らませる妹。こうしてみると、この子も案外かわいい。ああ、背が高いって素晴らしい。少し高かったけれど、薬を買って本当によかった。私は心底そう思った。

 ぴんと背筋を伸ばして道を、廊下を、教室を、電車の中を歩いて見せる。183cmを超えた私より高い人なんてめったにいない。180cmの時も少なかったけど、185cmになると本当にいない。どこにいてもたいてい私は1番。ああ、背が高いって気持ちいい。毎日のようにそれを実感している。もっと薬を買って飲みたい。200cmくらいになりたい。それくらいになって、一生妹を見下ろしてやりたい。私はそれを想像するだけで、にやにやが収まらなかった。
「ただいまー!」
 勢いよくドアを開けて帰宅する。少し前までびくびくしていた私が信じられない。人は中身とか言うけれど、結局見た目が全てだと思う。見た目が良くなれば、自身が出て中身も美しくなる。
「おかえりー」
 こそこそする妹。少し前まであんなに威張っていたのに、こんなになってしまうなんて。小さいって、惨めね。学校では威張っているのかもしれないけど、私の前ではへこへこするしかないみたい。妹も成長しているんだと思うけど、私の方がもっと成長している。日に日に、妹が小さくなっていくように感じる。
 たったの1cm足らずでも、勝ちは勝ち。私はそんなかわいい妹の頭を撫でながら、颯爽と自室に戻ってみせた。

「あれ、もう空なの?」
 50粒ある薬が空になってしまった。もう少し持つと思ったけれど、毎日飲んでいると案外減りは早いもの。
「行ってきまーす」
 妹が先に出て行く。私が怖いのか、最近の妹は早めに出て行く。いじめる相手がいないのは寂しいけど、もっと大きくなってから思い切りからかってやればいい。この薬がある限り、私は無敵みたいなものだ。どんどん大きくなってやる。まずは、新しい薬を買わないとね。せっかくだから、5袋くらい買っておこう。
 せっかく薬を1袋飲んだから、保健室で身長を測ってみた。なんと、185.1cm、夢の185cm。クラスの1番背の高い男子もいつの間にか越していたたみたい。さすがに5cmも伸びるとクラスの子に言われることもあったけど、私はいつでも成長期と言って見せた。成長期は成長する時期のことなんだから、薬で伸ばしても別に成長期でいいじゃない。そして私は、この薬がある限り、いつだって成長期なの。1袋で5cm伸びたから、あと5袋飲んだら210cmになっちゃう! 楽しみ、あー、250日後が待ち遠しい。
 ・・・・・・何事も、予想通りとはいかないということを私はまだ知らなかった。

 5cm伸ばして、私の成長期はぱたりと終わっちゃった。どんなに薬を飲んでも、私の身長は伸びなくなっちゃった。5袋も買ったけど、効果が出ないってわかったからほとんど捨てちゃった。悲しい、もったいない。だって薬飲んでもいつ測っても、186cm未満で、効果なし。まあ、ここまで伸ばせただけで嬉しいことなのかもしれないけど、妹の成長期は健在だから、すぐに抜かされちゃった。
 もともと数ミリの身長差しかなかったのに、私の成長が止まってからぐんぐん伸びていって、1週間に2cmくらい伸びるから1か月で10cmも伸びていくの。今の身長、198cmみたい。私の目の前には妹の方がある。姉妹が逆転したような身長差。私も185cmあるのに、妹はもっと大きい。私を妹扱いしてする。ああ、辛い。そしてもう少しで夏休み。夏にどれくらい伸びちゃうんだろうって、今から怖くなってきた。

「お姉ちゃん、小さくなったねー」
 毎朝、妹に頭をポンポンされる日々。少し前はただの挨拶みたいなものだったけど、今は本当に毎日大きくなっていくから怖い。洋服なんて1週間に1回変えてるっていうし。
「お姉ちゃんかわいい!」
 私にぎゅっと抱き着いてくる。あごの下に入ってしまうくらい、今の私は小さい。そしてこれからも、どんどん小さくなっていくんだと思う。私の目の前には大きな背中があって、あたかも壁のよう。
「お姉ちゃんかわいいなー。どんどん小さくなるな―」
 そう言いながら、どんどん抱きしめる力を強くしていく。妹にとっては普通でも、私にしてみたらかなり苦しい。私は妹の腿を叩く。
「やめて、いたいいたい!」
「あ、ごめん。お姉ちゃん、思ったより弱いんだね」
 そんな無邪気な台詞が私の胸に刺さる。こんな私でも185cmあるのに、学校で1番を争えるくらい背が高いのに。妹の前では、か弱い女の子になっちゃう。

「どう、制服は」
「うん! すぐ小さくなっちゃうかもしれないけど、着れるよ!」
 新しい制服に身を包んだ妹。中腰になった彼女、私の目の前には・・・・・・彼女の肘か鳩尾が。
 あごの下に入ってしまったかと思えば、肩よりも低く、やがて胸よりも低くなってしまった。妹は夏休みの間、毎日1、2cmも身長を伸ばし続けた。にょきにょきとデカくなり続けた。
 ドアよりも大きく、風呂場の天井よりも大きく、そして家よりもデカくなった。
「お姉ちゃん、ちっちゃーい」
 妹は私の頭に胸を置いてくる。全く、この数週間で色々なところが大きくなりやがって。憎たらしい!
「ちょっと前まで同じくらいだったのに、こんなにちっちゃくなっちゃってー」
 そう言いながら、頭をなでなで。屈辱。でも、反抗できない。前に妹を怒らせたらベッドとか冷蔵庫とかを振り回しだしてから、私は一家の安全のためにも妹を慎重に扱うようになったのだ。
「あ、このサプリももう終わりだなー」
 妹はポケットから錠剤を4粒取り出して、水で一気に流し込んだ。その見覚えがある錠剤に、私ははっとした。
「あんた、それ」
「あ、やっと気づいた? お姉ちゃんのお薬だよ」
 にっこり歯を見せて微笑みながら、私を見下ろす妹。もしかして、彼女の成長は・・・・・・
「お姉ちゃん、こんなズルしちゃだめだよー。あ、ちなみにこの薬、もう売ってないみたい。じゃあお姉ちゃん、行ってきまーす!」
 ハイハイするようにドアを抜けて、250cmの巨体を小走りさせる彼女の背中を口をぽかんとして見送りながら、私は膝の力が抜けていくのを感じた。
-FIN