転校生

「成長とは、成長ホルモンによる指令を体の各部が受容することによって起こる。そしてこの成長ホルモンは脳の下垂体という部位から分泌される。そこで、電磁波と音波でこの部位のみを刺激してしまえば、容易に成長を促すことができる。
 これが僕の発明したこのスピーカーってわけ」
 ラジオのような直方体の機械を手に持ち得意げに話す小さな少年。しかしそんな彼の話を、2人の友人たちはつまらなそうに聞いている。
「まあつまり、マキ博士が言っているのはさ」
 1人が立ち上がり、少年から機械を奪った。小学6年生にして130cmしかない彼は時々こんな風に同級生に乱暴に扱われるのだ。しかし当の本人は、それをそこまで気にしてはいない。
「この音を聞けば、俺らの身長が伸びるってわけね」
「うん。でも、まだ調整が必要で。そこでみんなの協力を得たいんだけど、いいかな?」
「もちろん! こんな簡単に身長が伸びるんなら、何でもするよ」
 もう1人が立ち上がる。彼はマキの次に背が低い少年だが、高身長への憧れはマキの何倍も強い。目を輝かせながら、マキの発明品を見ていた。マキは友人に感謝しながら、機械の調整を始める。やることは単純、出力を変えながら下垂体への影響を調べていくのみ。1時間もすれば、調整は終わり、機械の裏蓋を占めてマキは口角を上げる。
「これで完成。みんな、ありがとう!」
 子供らしく、白い歯を見せて喜ぶ。そんなマキを見て、2人は目を細める。まるで、弟を見るかのごとく。
「それで、誰かにテストをしてほしいんだけど」
「はいはい! 絶対俺」
「トモは身長普通じゃん! それより、僕がやりたい!」
「うーん、機械は1つしかないし・・・・・・トモくんと空くん、じゃんけんして」
 2人はにらみ合いながら、たまの取り合いでもするような真剣さでじゃんけんを始める。ジャンケンポンという短い掛け声の後、空がジャンプした。
「やったー!」
「くそ!」
 土の地面を叩き、悔しがるトモ。トモは身長は普通であるが、彼はある女子に恋をしていた。春、トモは彼女よりもやや背が高かったのだが、女子の成長期は男子よりも早いため、最近トモは彼女に身長を抜かされてしまったのだ。そんな彼女を追い抜かしたい、トモにはそんな切実な悩みがあった。
「じゃあ、これもらってくよ」
「うん、1週間くらい聞いてみて。寝ている間に聞いたらいいかも」
「わかった! あー、どれくらい伸びるんだろうなー」
 嬉しそうに、機械を見つめる空。ぐんぐんと伸びていき、あっという間にクラスで1番になる。そんな妄想をしてにやにやと笑っていた。
 1週間後、彼は相変わらず背の順で前から2番目だった。

「おかしいなー、ちょっとは伸びると思ったんだけど」
「毎日測ってたけど、1ミリも伸びなかったよ・・・・・・」
 机に頬杖を突き、ふてくされてマキを睨みつける。マキは考える人のポーズをして、なぜ失敗したのかを考えはじめるが、すぐには結論は出ない。そして考えている間にチャイムが鳴り、先生が入ってきた。おしゃべりをしていた児童たちは皆、自分の席へと戻っていく。
 先生は出席簿を教卓に置いてから、ごほんと1つ咳ばらいをする。ニコニコした先生に、児童はわくわくしながら注目した。
「皆さん、今日は転校生を紹介します」
 わっと教室が沸き上がり、先生は静かにと呼びかける。そして、ドアの向こうにいるであろう転校生の方を見た。
「川島さん、入ってきてください」
 がらっとドアが開けられ、ランドセルを手に持った彼女が教室に入ってきた。興奮していた児童は一転緊張して、彼女を見上げた。先生でさえ、彼女を若干見上げているようだった。175cmとやや背の高い男の先生であったが、彼女はさらに背が高かったのだ。
「じゃあ、自己紹介を」
「川島彩です。よろしくお願いします」
「あと半年しかないけど、みんな仲良くしてね。じゃあ、川島さんは、1番後ろの席に座ってください」
 はい、と返事をしてから、ランドセルを両手で抱えて彩は指示されたところまで歩く。誰もが彼女に注目していた。自分たちとは異なる、大人顔負けの長身。2番目に背の高い女子ですら160cmに満たないという中で、彩の存在は文字通り頭一つ抜けていた。
 休み時間になるなり、彩の周りには多くの女子が集まりおしゃべりをする。身長を聞かれ、わからないと答えるなり保健室に行こうと提案され、彩は快く応じた。そして現在の身長が175.4cmであることが判明し、本人も含めて誰もがその長身に驚いた。休み時間になるたびに彩は女子に囲まれ、放課後もそれは同じであった。むしろ、他のクラスが彼女のうわさを聞きつけてより騒ぎを大きくしていった。学年で2番目に背の高い女子である雪乃ですら、160.2cmしかないため、背比べをすると彩の顎の下に入り込んでしまう。そうして彩の大きさを再確認して、彼女たちはまた楽しむのだった。

 大物転校生がやってきた騒ぎも、1か月もすれば収まり自然と仲良しグループが形成される。平凡な日々が戻ってきた。しかし、時はすでに10月。修学旅行も終わり、卒業までの残り少ない時間を6年間共に過ごした仲間と一緒に過ごそうとするのが普通だ。そんな時期、彩はどのグループにも属することはできず、また彼女の特異性も相まってクラスで独りぼっちになっていた。
 いつも通り、一人で下校する彩。175cmという長身にランドセルを背負った奇妙な姿は老若男女問わず目を引き、怪訝な表情を浮かべる。しかし彩は、そんな周囲の人々からの好奇の視線を気にしてはいない。彼女にとって周りからの評価よりも、帰ってからのおやつの方が大事だった。愛用のぬいぐるみと何をして遊ぼうか、そっちの方が大事だった。彩はそんなことを考えながら、家に向かうのだった。
 上機嫌で下校する彩の目線の先に、小さな少年。彩はそれがマキであることに気が付き、胸を躍らせた。そして小走りで彼の元へと向かった。
「マキくん!」
 肩をぽんと叩いてから、彼の前に参上する。130cmのマキは、175cmの彩を大きく見上げる必要があった。
「ねえねえマキくん、一緒に帰らない?」
 マキはこくりと頷く。すると、彩は白い歯を見せてにこっと微笑み、マキの頭を撫でた。
「マキくん、ちっちゃくてかわいい」
 マキはじっと俯く。背の低いマキはよく同級生の女子に弟扱いされることがあり、こんなことは慣れっこだった。彩にされるのは初めてだったが、またか、としか思っていなかった。
 無抵抗なマキを見て、彩はさらに感情を高まらせる。一人っ子で少女趣味の彩は、弟のような存在を前々から欲しがっていた。しかし同学年の児童と比べてあまりに背が高すぎる彩は、小さい男子を怖がらせてしまうことが多く、そんな存在に出会えずにいた。しかし今は、ここにマキがいるのだ。
 彩はマキを抱きしめた。すっぽりとマキを包み、胸が彼の顔に押し付けられる。マキはそれを、痛いと感じた。
 スキンシップを済ませて、2人は一緒に道を歩く。彩はマキの手を取って、弟を引っ張る姉を演じた。マキはただ、それに乗っかっていた。
「ねえ、マキくんって、普段何をしているの?」
「発明」
「発明?」
 首をかしげて、マキの顔を覗き込む。マキはこくりと頷く。
「例えば、どんなの?」
「たとえばー」
 マキは記憶を掘り出していく。人を乗せられるラジコンヘリ、電気を銃弾のように飛ばす新手のビリビリグッズなど、色々なものを思い出したものの、なんとなくマキは言いたくなかった。すでに完成してしまったものはつまらない、マキはそういうタイプであり、そんなつまらないものを、彩に言うのはマキのプライドが許しがたかった。
 そこでマキは、とある発明を思いだした。現在も開発中の失敗作を。
「身長を伸ばす、スピーカーとか。まだ、完成してないんだけど」
「わー、すごいねー!」
 彩は微笑みながら、ぱちぱちと小さく拍手をする。それは明らかに、嘘の自慢話をする幼い子供を褒める保育士の拍手であった。マキはそれにむっとした。
「信じてないでしょ」
「え? ううん、信じてるよ」
 彩は一瞬戸惑ったが、姉として弟を信用しようと、真剣に彼を見下ろす。しかしマキは、そんな彼女をまだ許せない。
「持ってくるから、ちょっとここで待ってて!」
 ランドセルをその場に置いて、マキは駆けだす。彩は地面に置かれたランドセルを拾い上げ、ほこりを払って、マキの帰りを待つ。変なことをしてしまったと反省したが、喧嘩をするのも姉弟らしいと、今の状況を楽しんでいた。
 10分程度で、マキが帰ってくる。彼の手には、例のスピーカー。マキは彩からランドセルを受け取ってから、ダイヤルをつまむ。
「音を、聞いて」
 そう言ってつまみを回した。頭を刺すような音がスピーカーから流れてくる。彩は頑張って、マキの言うとおりにした。調整途中の機械であるが、マキは何かが起こってくれることを祈った。
 5分ほど動かして、マキは音量をゼロにする。彩はマキを見つめてから、笑った。
「すごいね、マキくんは」
「何か、変化あった?」
「え? うーんと・・・・・・なんか、身長伸びた気がする!」
 ニコニコしながら、屈んでマキにそう言う。マキはむっとした。と同時に、自分が情けなくなった。見栄のためにわざわざ女の子を待たせて機械を持ってきて、挙句の果てに失敗する。そんな今の自分がマキは嫌になった。
「そう、ありがとう。僕、こっちだから。ばいばい」
「あ、私もこっちだから、一緒に帰ろうよ」
 彩はまた、マキの手を取る。マキは小さく頷いた。
 マキの家の前に着いて、彩は手を離す。そして小さく、マキに向かって手を振った。
「じゃあマキくん、じゃあねー」
「ねえ、川島。最後に約束して」
「え?」
 マキはランドセルから機械を取り出して、彩の顔の前に添えた。
「この機械、完成したらまた付き合って!」
 きょとんとした表情で、機械を見つめる彩。やがて彩は、マキに向かって優しく微笑んだ。
「うん、約束する。完成するといいね」
 マキの頭を何度か撫でてから、彩は去っていった。マキは彩の背中を見て、即急に機械を完成させる決意を固めて自分の部屋に飛び込んだ。
 一方、マキは下校途中、時々妙な片頭痛に襲われていた。



 175cmとは男性の平均身長よりもやや高いだけであるが、平均身長145cmの小学6年生に混ざるとまさにガリバーの如くであった。バスケでは彩がボールを持てば誰も取れない。掲示を壁に貼るとき、普通なら椅子の上に立って貼るような位置でも、彩なら普通に床に立って貼ることができた。また、転校してきた10月時点で175cmだった彩はそれからもさらに身長を伸ばしていき、卒業する頃には180cmの大台を突破していた。担任教師と並んで若干彩の方が高いとわかる微妙な身長差は日を追うごとに開いていった。しかし、人より大きくても素直で子どもらしく、また大きいからという幼稚な理由で変に威張り散らかすことはしない。そんな彩を児童たちは尊敬していた。目指すべき理想の大人の女性のように見ていた。
 しかし学校での彩のキャラとは一転、家での彩は非常に甘えん坊だった。両親にはもうすぐ中学生なんだからという文句で女の子らしさ、大人らしさを押し付けられていたが、自室での彩はぬいぐるみと少女小説に囲まれる、同学年の少女と同じかそれ以上に子どもっぽい趣向をしていた。そんな趣向のせいで彩はマキの小さな体と少々ませた人柄に惹かれていった。2人はいつの間にか自然に、一緒にいる時間が長くなった。彩は純粋な好意から、一方マキは発明のために。初めはマキの話を法螺と思っていた彩も、マキに付き纏うようになり、マキがこれまでにしてきた発明品を見るなり、彩はマキの知識と技術に敬意を抱くようになった。そして、マキが発明している『背を伸ばすスピーカー』の完成を心待ちにしていた。子どもっぽいマキは、他の小さな少女と同じように、自身の成長を喜んでいたのだ。
 卒業式の朝、マキ博士はとうとうスピーカーを完成させた。前日の夜にアイデアが浮かび、その勢いのままに全てを完成させてしまった。そのせいで寝不足のマキは卒業式を休もうと思ったが、母に尻を叩かれて嫌々登校した。
 新品の制服に身を包んだ6年生はたいてい普段よりも子どもっぽく見える。こなれない大きめの制服が、少年少女を一層子どもに見せていたが当の本人たちは1つ成長したと胸を張っていた。特に、彩はその傾向が著しかった。しかし彩の場合持ち前の長身のおかげで子どもっぽさではなくむしろ女子高生のような色っぽさを醸し出していた。しかし近づいてよくよく観察すれば、ぶかぶかで手が半分隠れてしまうほどに大きい制服と、そわそわとした挙動が彩の幼さを誇張していた。
「彩ちゃん、制服おっきーね」
「そうなの! まだ伸びるかもしれないからって、大きめに作ってもらった」
「サイズいくつ? XLとか?」
「特注だよ!」
 胸を張ってそう答える彩。制服の中で体が泳ぎ、ぶかぶかが強調される。同級生はそんな彩を見て、なんとなく違和感を覚えた。それは、理想と現実が乖離していることに気がついたことによる違和感だった。このとき彼ら彼女らは、1つ大人になった。
 卒業式が終わり、児童らは別れを惜しむ。一部の児童は同じ中学校に行くが、半数以上は別れてしまう。別れの悲しみは後輩にとっても同じであり、卒業式という休日にわざわざ学校に来ては卒業を祝い悲しむ者もいた。
「お兄ちゃん、卒業しちゃダメー」
「おいおい、卒業式くらい、おとなしくしてくれよ」
 空に抱きつく、空と同じくらいの背の少女。空の妹、美緒が空に卒業を惜しんで抱きつく。
「だって、もう一緒に学校いけなくなっちゃうじゃん!」
「あのなー、お前もう6年生だろ。ちょっとは大人になってくれよ。マキも、なんか言ってよ」
「あはは、相変わらず、仲良しだね」
「あ、マキ博士!」
 美緒は空から離れて、マキの前に立って、彼を見下ろした。マキは初めて、彼女の変化に気がついた。
「美緒、身長伸びたね」
「へへ、やっと気がついてくれたー。博士は、小さくなったね」
「去年は僕よりも低かったのに」
 マキの頭に手を乗せてスライドし、マキの背丈は自分の額だと確認して、彼女は喜んだ。そして、空のほうに向かって腕を組む。
「去年が125cmで、今は140cm。15cmも伸びたんだよ! そのうち、お兄ちゃんも抜かしちゃうかも」
「抜かすのはしょうがないけど、その時はもう側に寄るなよー。勝手に布団の中に入られると、熱苦しいんだよ」
「えー! それなら小さい方がー、うーんでもー」
 腕を組んだ状態でそわそわと動き、空を振り回しながら悩む美緒。空は腕を振り解こうとはするものの、力ではすでに美緒の方が上らしく、好きなように振り回されていた。
 そんな兄妹を見てマキは微笑んだ。次の瞬間、視界の端に背の高い人影が映った。卒業式であっても喜びを分かち合う友人のいない彩は独りで帰ろうとしていた。マキは今日きた目的を思い出し、そちらにかけていった。
「川島、ちょっといい?」
 彩の目が輝く。屈んでマキの目の前に自分の顔を持ってきた。
「なあに、マキくん」
「スピーカー、たぶん完成したよ。今度は多分大丈夫」
「本当? じゃあ」
 暫時考えたのち、彩はにやりと笑う。
「私の家で、聞かせて!」
 マキはすぐ、こくりと頷いた。

 インターホンの音がしてしばらくして、母の声がマキの耳に入ってきた。
「真二、なんかモデルみたいな子が来てるわよ!」
 母に呼ばれて、マキはスピーカーを手提げに入れて玄関へと向かった。そこには彩と、楽しそうに彩に話しかける母の姿。マキが来たことに気が付くなり、母はマキの背中をどんと叩いた。
「こんな息子だけど、仲良くしてくれてありがとう!」
「いえ、そんな」
「あんたいつからこんなガールフレンドをひっかけるような男になったのよ! さあ、デートを楽しんでらっしゃい!」
 また背中を強くたたいてマキを送り出す。マキは、よろけながら、家の外に出ていった。
「おまたせ。じゃあ、行こうか」
「うん!」
 にこっと笑い、頷く彩。同学年の女子なら先ほどマキの母が発したガールフレンドという単語に過敏に反してもおかしくないが、マキも彩も、それを気にするほど性への好奇心が乏しかった。
 手をつないで仲良く、彩の家へと向かう2人。家に異性を呼ぶというのは中学生になろうとする2人にとって特別な意味を持ち始めるものである。それは主に性的な意味であるが、2人には、そんなものはなかった。マキは友人の家に行く感覚で、彩にとってはぬいぐるみを家に持ち帰るような、そんな感覚だった。
 一軒家の大きな家に到着する。彩が家のドアを開けるなり母がリビングから姿を現し、マキを見つめては目を丸くした。
「まあ! 彩がお友達を連れてくるって聞いたから。初めまして、お名前は?」
「牧真二と申します。お邪魔します」
「まあ、しっかりしてるのね。彩と仲良くしてくれて、ありがとう」
 屈んでマキの頭を撫でる。彩の母も背が高く170cmあったが、彩の方が高い。しかし、体全体から漂う母性がマキの血流を穏やかにした。
 そんな2人のやり取りに彩はむっとし、マキを後ろから抱き上げる。
「マキくん、お部屋に行こう!」
 廊下をかけていき、階段を上がり部屋に入り、マキを床に下ろす。彩はほっと溜息をついた。
「はい、これスピーカー。イヤホンを付けて」
「あ、うん! ありがとう。とりあえず、座ろうか」
 彩は本題を思い出し、座って目線をやや近くしてから、彩は言われた通りにイヤホンを付けた。マキは緊張していた。徹夜で突貫的に調整を済ませただけで、作動テストをしていないことに今気が付いた。しかし今更やめるのは嫌だった。どうかうまく動きますようにと、マキは祈った。
 そしてマキはダイヤルを回して最高出力を出した。
「ひゃっ」
 短い悲鳴の後に、彩はイヤホンをつけたまま、ぱたりと床に倒れる。スースーと寝息を立てて、彩は穏やかにカーペットの上であおむけになって寝てしまった。マキは彩の肩に手に手を置いて体を揺らしたが、起きる気配はない。マキはとりあえずイヤホンを外して機械を手座気にしまったが、それでも起きなかった。自分でイヤホンを付けて音を聞いてみたが、耳をつんざくような音は聞こえるが気絶するほどではなかった。マキは首をかしげるしかなかった。
 ドアがノックされて、マキは仰天した。彩の母がお盆にお茶と菓子盆を乗せて、部屋に入ってきた。母は寝ている彩を見るなり、目を細めた。
「あら、彩寝ちゃったの。しょうがない子ね」
「はい、急に」
「最近はよくあるの。学校から帰ってきたら、眠いって。でも、今はまだお昼だから、随分早いわね。夜更かしでもしたのかしら?」
 母の言うことを聞いて、マキは少し安心した。母は彩を持ち上げてベッドの上に置く。自分よりも背の高い彩を持ち上げる母を見上げて、マキは感心した。
 それからは母と一緒にお茶を飲み、お菓子を食べながら母の話を聞いていた。昔から背が高く、小学校に入学する頃には140cmあって、2番目に高い子でも肩にも届いていなかった。中学1年生と言われても身長だけなら違和感がなかった。しかし中身は普通の子供で、身長のせいで年相応の扱いが受けられないこともあり、親としても色々と苦労したという。
 結局彩が目覚めることはなく、夕方になり、5時のチャイムが鳴り響く。母はマキに帰るよう言い、マキもそれに従った。玄関まで見送り、最後にしゃがんでマキの手を握った。
「中学生になっても、彩と仲良くしてね」
 まっすぐ見つめられて、マキは反射的に首を縦に振る。母は柔らかく微笑んだ。
 マキの後ろの玄関が開き、1人の男が入ってくる。マキを見るなり、彼は小さく驚いたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「もしかして君が、マキくんかな?」
「はい」
「彩から聞いているよ、とてもかわいい子だって」
 男はマキの頭の上に手を置いて、少ししてから手をどかす。180cmほどの、背の高い男性、彩の父親。しかし彩と同じくらいの身長である。
「もう遅いけれど、家は近いのかな?」
「歩いて10分くらいです」
「それはよかった、でも帰りは気を付けてね。中学校は、K中かな。それともお受験」
「K中です」
「そうかいそうかい。これからも、彩と優しくしてくれると助かるよ」
 父はそれからマキに手を差し出し、2人は握手を交わす。両親に見送られてマキは彩の家を後にした。

 4月、入学式。複数の小学校から集まった新中学1年生たちの身には新顔を見つけて緊張と興味がこみあげてきた。
 100人以上いる新入生。その中でも彩はひときわ大きな存在感を醸し出していた。同学年の男子に混じっても、成人男性と混じっても抜けた180cmという高身長。遠目から見ればモデルのような容姿に中学生になったばかりの少年少女はそんな彩を見て驚愕し、一部の者にとっては憧れの対象となった。
 彩は母と一緒に学校に向かっている。170cmの長身の母と、母よりもさらに背の高い180cmの彩。そんな2人組はモデル親子として周りの目を引いた。しかし、彩はそんなに大人ではない。きょろきょろと好奇心旺盛に周りを見渡し、マキを見つけるなり母と離れてまっすぐそちらへ走っていった。
「マキくんおはよう!」
 腰を曲げて腕を後ろの方へ伸ばして、マキに笑顔で話しかける。それから彩ははっとして、両手を合わせた。
「ごめん、この前はなんか寝ちゃって! せっかく来てくれたのに」
「あらあら、また誘ってくれればいいのよ」
 マキの母がへらへら笑いながら口を開く。その隣で、マキは顔の前で無言で手を振った。
「また今度、遊ぼうね!」
「うん!」
 マキは彩に合わせて、にこっと笑った。周囲の新中学1年生とその親はそんな無邪気な彩を見て、怪訝な表情を浮かべていた。個々が脳内で描いた幻想が崩壊し、現実に戸惑っていた。しかしそうは言っても彩の容姿がモデル並みであるというのは事実であり、一部の者にとっては憧れの対象であり続けるのだった。
 教室に入り、2人は別れて各々指定された席に着く。彩は1人で大人しく読書をしていた。一方、マキの下に歩み寄る1人の少年。
「ようマキ」
「あ、空くん」
「ちょっと、トイレに行かない?」
「え? いいけど」
 校内に入って早々、2人は中学校のトイレに向かう。周囲はそんな2人に対して連れションとヤジを飛ばす者もいたが、友は気にせずマキをトイレへと引っ張っていく。そして誰もいないトイレで、空は深刻そうな表情を浮かべてマキを見下ろした。
「ねえマキ、前に背の伸びるスピーカーって作ってたじゃん。あれって、完成した?」
「ああ、したよ。ちょっと前に」
 空の表情がぱっと明るくなる。
「それ、僕つかってもいいかな?」
「うん。ごめん、言うの忘れてた。今日の放課後、いつもの公園でいい?」
「大丈夫、ありがとう」
 空はマキの手を取って、握手した。最近になって急に背を伸ばし始めた妹に、空は危機感を抱いていた。数週間前には並ぶくらいだったのに、今では背比べをすればわずかに妹の方が勝つようになっていた。そんな妹の急激な成長に絶望していた空だったが、そんな時、以前にマキから借りて効果のなかった背を伸ばすスピーカーの存在を思い出したのだ。
 放課後、マキは空にスピーカーを渡す。
「何度か聞いてみたけど、実は効果があまり出なくて。問題はないと思うんだけど」
「まあ、その時はその時。試してみるよ、ありがとう!」
「うん」
 空はスピーカーを受け取って上機嫌になった。家に持ち帰り、寝るときになってイヤホンをつけて最大出力で音を聞いた。空は1週間、そんな風にして夜を過ごした。途中、スピーカーに興味を抱いた妹に、寝ている間にイヤホンを取られてしまうこともあったが、空は1週間、耳をつんざくような音に耐えた。
 しかしスピーカーの効果が出ることはなく、空の心はマキから離れていくことになるのだった。

 入学して1ヶ月が経過し、マキは中学校生活に慣れはじめていた。新しいクラスメート、新しい先生、新しい先輩。マキは手芸部に所属していた。最初は技術部を希望していたものの、今年で廃部になると知ってがっかりした。帰宅部で良いと思っていたその矢先、彩がマキを手芸部に誘ったのだ。マキはせっかく誘われたのだからと、入部することにした。
 一方彩は、手芸部に入部したもののバスケ部の部長からの熱烈な勧誘に折れて兼部することになり、それ以来手芸部にはこなくなってしまった。練習も忙しく、彩とはほとんど話すことなく夏休みを迎えることとなった。
 夏休み、マキは家で本を読んでいた。中学生になってから部活で忙しかった牧だが、夏休みに入って、背を伸ばすスピーカーの作り直しを始めていた。
「マキ―、彩ちゃんが来ているわよー!」
 下から母親の声が聞こえて、パジャマ姿だったマキは慌てて外着に着替えて玄関に向かう。私服姿の彩が、そこに立っていた。
「あれ、今日は部活ないの?」
「うん! 部活、辞めてきちゃった!」
 彩は胸を張って、はっきりそう言った。マキは急な告白に戸惑う。
「ねえねえ、今日って大丈夫? これから遊ばない?」
「あら、いいじゃない。真二、1日中引きこもっているんだから、たまには外に出なさいよ!」
「う、うん」
 マキは部屋に戻ってリュックサックを背負ってから、外に出る。その途端、彩が手をつないできた。
「マキくんと一緒にいるの、久しぶりだね」
「バスケ部は、本当に辞めちゃったの?」
「うん! 先輩が嫌いだから、辞めるって言っちゃった! これからはマキくんと一緒に、学校行って、部活に行って、家までも一緒に帰れるね!」
 彩は嬉しそうに、マキを見下ろして微笑む。それから彩は、ぎゅっと手を握り締めた。
 2人でなんとなく歩き回り、気が付けば公園に向かっていた。夏休みということもあり人が多く、その中には見覚えのある顔つきもあった。
「あ、マキ博士!」
 1人の少女がマキに向かって手を振り、駆け寄ってくる。マキよりもずっと背の高い、マキのクラスで彩の次に背の高いくらいの少女。しかし、彼女はマキの同級生ではない。
「久しぶり、美緒」
「ふふん。マキ博士、また小さくなったねー」
「美緒、随分背が伸びたね。空よりも、ずっと高い」
「お兄ちゃんなんて、もう抱っこできるもん!」
 自慢気に美緒はマキにそう言ってから、マキの頭を撫でる。それは、普段美緒が空にやっているのと同じことであった。
「マキくん、この子は?」
「ああ、小林美緒。小林空の妹」
「そうなんだ。初めまして、川島彩です。空くんは小さいけど、美緒ちゃんは大きいねー」
 美緒がマキにしたように、彩は美緒の頭を撫でた。185cmの彩と、160cmの美緒。彩にとって美緒は、顎の下に入れてしまえるほどに小さい。美緒はそんな彩に頭を撫でられて、むずかゆい気持ちになった。
「ねえねえマキくん、最近はなんの発明をしているの?」
 彩の手を恥ずかしそうに払って、美緒はマキに尋ねる。
「うーん、最近はしていないね。背を伸ばすスピーカーは結局、動かなかったみたいだし」
 背を伸ばすスピーカー。その単語を耳にして、美緒は目を輝かせた。
「なにそれ、見てみたい!」
 美緒はマキを持ち上げて、彼と目線を合わせる。マキは急に地面から足が離れてうろたえる。
「こらこら、マキくんを困らせないで!」
 彩が美緒を後ろから持ち上げた。美緒は、急に宙ぶらりんになったことに驚き、マキはさらに目線が高くなったことに再び驚いた。
 3人はマキの家へと向かい、美緒はマキからスピーカーを受け取る。
「あ、これってもしかしてお兄ちゃんが寝る時に聞いてたやつ?」
「うん。空は効果がなかったけど、美緒はどうだろう」
「ふーん」
 美緒はイヤホンを付けてダイヤルをひねる。頭に刺さるような音がスピーカーから流れてきた。
「あ、これって昔、お兄ちゃんがつけっぱなしで寝ていたやつだ」
「え? あー、確かに小学生の時も貸したね」
「うん! 寝る時お兄ちゃんの部屋入ったら、変な音が流れてて、びっくりしちゃった」
 そして、美緒ははっとして、目を輝かせた。
「うち、そのくらいからぐんぐん身長伸びるようになったの! だから、これを聞いたらもっと大きく・・・・・・」
 美緒はイヤホンを付けたまま出力を最大にする。軽いめまいが美緒を襲った。
「じゃあマキくん、これ借りてくね!」
「うん。そのうち返してね」
「はーい!」
 音を聞きながら、美緒は帰っていった。家には、マキと彩が残される。
「川島はどうする?」
「うーん、特にやることもないしー。あ、マキくんってもう宿題終わっちゃった?」
「ううん、全然。夏休みの宿題って、ついつい後回しにしちゃうから」
「私も! なーんにも手を付けてないもん。じゃあ、明日から一緒にやらない?」
「うん、いいよ!」
「じゃあ、明日も遊ぼうね! ばいばーい!」
 彩は後ろを向いて手を振りながら、小走りで去っていった。

 ある日はマキの家で、ある日は彩の家で、2人は1日に4時間ほど、一緒に宿題をやるようになった。博士と言われるくらいのマキのことであるから、どんどん宿題を進めていった。彩はマキに比べたら勉強ができないので、わからない箇所をマキに質問する。そのたびにマキは、丁寧に教えた。その間マキの宿題は進まないが、マキはそんなことを気にしなかった。
 インターホンが鳴る。母親は出かけているため、マキが出る。そこには、空がむっとした表情でドアの前に立っていた。
「マキ、どういうつもりだよ」
「え?」
 マキは、空の言っていることがわからなかった。また、空がどうして怒っているのかも。
「スピーカー、完成したのにどうして教えてくれなかったの?」
「完成なら、前からしていたけど」
「もう、お兄ちゃん怒らないで」
 空の体が浮き上がる。マキは、空の後ろにいた美緒の存在に気が付いた。
「ごめんねマキくん。お兄ちゃんがこんなことして」
「離せよ巨人!」
「もー、怒らないでよお兄ちゃん」
 マキはぽかんと美緒を見上げていた。1週間ぶりに会った美緒は兄よりも頭2つ分ほど大きくなっていた。190cmに達した美緒は彩よりもやや背が高いなっていた。
「美緒・・・・・・」
「マキくん! あ、これ返すね。へへ、こんなに大きくなっちゃった」
「マキ! どうして妹はこんなに」
 美緒からスピーカーを受け取り、空はマキをきっと睨みつける。マキは申し訳なさそうにうつむいた。
「僕もよくわからない。僕も試したけど、効果なかったし」
「なんだよ畜生。どうして妹ばかりが」
「こらこらお兄ちゃん泣かないで」
 兄妹の立場が逆転したような、空に対する美緒の扱い。最初は悔しそうな表情を浮かべていた空も、やがて美緒にはかなわないと悟りやがて無抵抗になった。
「あれ、美緒ちゃん?」
「あー、彩ちゃん! うち、彩ちゃん抜かしちゃったかも!」
 兄を下ろして、彩と背中合わせになる美緒。
「ねえねえマキくん、どっちが大きいかな?」
「うーん、ちょっとだけだけど、美緒かな」
「やった! へへ、お姉さん小さくなりましたねー」
 美緒は彩の頭を撫でる190cm近い彩は人に頭を撫でられることがめったにないため、妙な感じがした。
「マキくんは、もっと小さくなったねー」
 美緒はマキに抱き着いて、そのまま持ち上げる。そんな美緒を見て、彩はむっとした。自分のおもちゃを取られた子供の怒りであった。
「ちょっと、マキくん返してくれる?」
「ふふん、悔しかったら取り返してみたら?」
「もう! 小学生のくせに、生意気!」
「でもお姉さん、小学生よりちっちゃい!」
 マキを片方の腕で抱きかかえたまま、美緒は彩の頭を撫でる。その行動は同時に、彩の神経も逆なでした。
 彩の目に、マキのスピーカーが映る。そして彩はにやりと笑った。
 やがて美緒は帰っていき、玄関には2人が残される。
「ねえマキくん。そのスピーカー、私も借りていいかな?」
「え? まあ、いいけど。そういえば川島は、効果出たんだっけ?」
「うーん、どうだろう。お父さんよりずっと大きくなっちゃったし、効果あったのかも」
「そう。まあ、やりすぎないようにね。大きくなりすぎても、大変だと思うし」
「うん、ありがとう」
 マキからスピーカーを受け取る。彩はにやりと微笑んだ。
「じゃああと1時間、宿題頑張ろうか!」
「うん」

 夏休みが終わって最初の登校日の朝。インターホンが鳴り、マキは制服姿でドアを開けた。
「おはよう、マキ博士!」
「美緒、どうしてここに」
「ふふ、それはねー」
 美緒は微笑みながら、マキを持ち上げる。半年でやや背を伸ばしたマキは現在140cmあるが、美緒の成長はその比ではない。
「美緒、また成長した?」
「うん! 今、197cmあるんだよ」
 マキを地面に下ろし、マキの頭に手を乗せる。
「ふふん、マキくん、うちの胸までしかないね。ちっちゃーい」
「美緒が大きすぎるんだよ」
「成長期ですから!」
「いや、僕のスピーカーのおかげでしょ」
 美緒が特異な表情を浮かべてマキを見下ろす。そんな美緒に、影がかかった。
「あ、美緒ちゃんだー」
 大きな手が美緒の頭を包んだ。
「かわいいなー美緒ちゃん。私の胸までしかないんだねー」
 はるか上から聞こえてくる声。しかし声の主は、マキからは見えない。美緒は恐る恐る、振り返る。目の前には。セーラー服のリボンがあった。
「おはようマキくん」
「か、川島?」
「うん。川島彩でーす」
 しゃがみこんでも、彩はマキを見下ろしてしまう。230cmになった彼女はしゃがんだ状態でも160cmほどの高さがあり、マキでなくても中1ならたいていの生徒は見下ろしてしまうほどだった。
「なんか、すごいね」
「うん! 少し大きくなりすぎちゃったけど、こういうのもいいよね。さあマキくん。一緒に学校行こう!」
「う、うん」
 マキはカバンを持って外に出て、彩を見上げた。マキの頭よりもさらに高い位置にスカートがある。
「ねえ、手、つなごうよー」
「あ、うん」
 頭の位置まで手を上げて、マキは彩の手を握った。彩の手はマキの手を包んでしまうほどに巨大である。
「放課後、スピーカー返すね」
「うん、よろしく。今日って部活ないよね?」
「ないけど、コンテストが近いから私はやりたいなー。マキくんも、一緒にやらない?」
「いいけど。夏休み中はやってなかったから、腕にぶっちゃったかなー」
「ふふ、忘れちゃったら、私が教えてあげるから、大丈夫」
 他愛もない会話をしながら中学校へと向かう2人。その身長差は90cm。しかしそんな超凸凹コンビになっても、2人は依然として良い友人同士であり続けていた。
-FIN