超高身長症

 超高身長症という病気が発見された。文字通り、背がとても伸びてしまう病気で、放っておけばどこまでも成長してしまうと、私は予想している。こう聞くと脳下垂体の異常で引き起こされる巨人症を思い浮かべる人もいるだろう。しかし、体が肥大化し、様々な合併症を引き起こすことで知られる巨人症とは異なり、超高身長症では老化が止まり、体が思春期の状態に維持され、その結果成長期が終わらないという特徴を持つ。見た目も内蔵も若く、代謝もよい。しかしそんな状態が長く続いてしまえば、やがては体は物理的に負荷がかかり、重篤な疾患を引き起こすだとうというのは医学的に容易に予想がつく。なお、この病気の特異な性質として、女性の発症者しか確認されていないというのがある。まだまだ研究が進んでいないこの病気。私の専門分野だ。
「先生、本日13時より、予約が1件入っています。初診の方で、20歳の大学生です」
「ああ、ありがとう。ところで君は、今年で28だっけ?」
「女性に歳を聞くのは・・・・・・いえ。はい、今は27で、今年で28です。もうすぐアラサーです」
 窓から目を離し、私は助手の橘さんを見上げた。見慣れた幼い顔が遠くから私を見下ろしていた。今年で28と言われてもにわかに信じられない、まるで中学生のような童顔。体つきにも子供らしさが残っている。しかし、彼女は正真正銘の27歳なのだ。5年間付き添ってきた主治医の私が言うのだから間違いはない。
「今朝は、身長を測る日だったと思うが、どうだった」
「239.4cmでした。先月よりも、3mm伸びていました」
「そうか・・・・・・」
 ここ5年間、彼女は毎年3cm背を伸ばしている。これでもかなり成長を抑えることができている。橘さんは世界初の超高身長症の患者で、中学生の時に発症したとみられている。中1で150cmと平均的だった彼女はその後、年に10cmほど背を伸ばし続けた。超高身長症では、2次成長期のハイペースで成長が続く。彼女は成長期にぐんと大きくなるタイプだったらしいが、それが不幸だった。最初は自身の成長を喜んだ彼女だったが、高校卒業時に210cmにまで成長してしまった。異常な長身の原因を知ろうと何度も巨人症の検査をしたが、いつも正常と言われた。今となっては当然の話で、超高身長症は脳の病気ではなく、全身の関節が臓器と共鳴して起こる病気なのだ。脳を調べても何もない。もっとも脳も臓器の一種であるからシグナルは見られるのだが、並みの病院の設備では感知できない。
 彼女は長身を活かしてバスケ選手になった。210cmの大型新人と、日本中が期待するホープだった。今なお、根強いファンがいると聞いている。しかし過度の長身は骨を相対的に脆くし、彼女の骨は激しい運動に耐えられず骨折を繰り返し、やむなく引退した。その後、興味を持った医師による徹底した検査が行われ、そこで関節によって引き起こされる未知の病気であるとわかった。それからは、私が主治医となり、研究のために彼女を雑用係として雇い、研究医をやりながらも超高身長症専門の臨床医を兼任するような形で今に至る。
「先生、どうされましたか?」
 背の高い椅子に座り、背中を丸めてハードカバーを文庫本のように持って読書する橘さんをぼんやりと見ていたら、彼女に尋ねられてしまった。私は小さく首を振った。
「君の成長記録について思い出していただけだ」
「そうでしたか、お疲れ様です」
 それだけ言って、彼女は読書に戻る。私は思わずため息をついてしまう。彼女のことを考えていると、いつも憂鬱な気分になってしまう。もっと早く原因がわかっていたら、彼女はもう少し普通の日々を送れていたんじゃないかと思うのだ。こんなおっさんの助手になんかならず、もっと普通の。
 しかし過去を悔やんでも仕方がない。私にできることは治療薬の開発だ。私は未だそれに成功していないし、最近はアイデアも枯渇してきた。しかしそれは換言すれば、世界中の誰もが行き詰っているということだろう。この研究に関しては、私には世界一を名乗る自信がある。私が弱音を吐いてどうする。
 さて、そろそろ13時になる。顔を洗って、新しい患者さんをさっぱりした表情で迎えようではないか。

[1]
 診察室に入ってきた女性。この瞬間から私の診察が始まっている。20歳、という割には確かに表情が幼く見える。しかし童顔だと言ってしまえばそれで済んでしまう程度ではある。

-初めまして、遠いところをわざわざ。どういった症状が出ていますか?
「はい。私は今ハタチで、もう高1くらいから背は伸びていなかったのですが、ここ1年急に伸びはじめて。今まで160cmだったんですけど、この前測ったら165cmになっていたんです。最初は内分泌系の病院で調べてもらったのですが、特に異常はないらしく。そしたらお医者さんにここを勧められて、訪問させていただきました」
-なるほど。成長ホルモンは普通でしたか?
「はい、歳にしては多いようですが、許容範囲と」
-わかりました・・・・・・検査をしますので、隣の部屋に移りましょう。

 聞いた感じから、超高身長症の可能性はかなり高い。ここまで強く特徴が現れており、なおかつ関節の検査で明らかな異常が見られれば、断定して良いだろう。私は彼女を連れて検査室に入る。入り口で橘さんがこちらを陰から覗いているのが横目に見えたが、いつものことなので気にする必要はない。
 まずは身体測定をする。身長は166.2cm、一応紹介状と一緒に送られてきた成長記録と見比べて、その異常性を確認する。そして骨の状態を調べるためにレントゲンを撮り、その次に特殊な機械で関節の放つシグナルを可視化する。1時間もあれば両方の検査が可能だ。そして、結果は思った通りだった。

-ええ、超高身長症です。病名は、おそらく聞いたことがありますよね?
「はい・・・・・・なんか、ずっと背が伸び続ける病気と」
-そうです。ただ、巨人症のように、顔の形が歪になるようなことはありません。ただ、あなたの体は小中学生の状態で、それ故に背が伸びているわけです。20歳だとまだかもしれませんが、若く見られることはありませんか?
「あー、あります! 私は何もしていないのに、若作りしているって。この前友達とお酒を飲みに行った時、私が1番背が高いのに、私だけ年齢確認されましたし」
-はい、そういう病気です。あなたは今後もおそらく年に6cm程度伸びていくと思われます。2次成長期の成長速度で成長が続くことが知られています。
「え・・・・・・つまり来年は、172cm、とか?」
-はい。その次は178cm、184cmと。放っておけば、どこまでも伸びてしまいます。
「そんな病気が・・・・・・あの、治療法は?」
-最近発見された病気で、今のところ投薬による抑制しかありません。あと少しすれば、もっと良い治療法が確立するかもしれません。現在私のチームで研究中で、最近動物実験の段階に入りました。今後も進展をお待ちください。
「はい、ありがとうございます」
-薬は2ヶ月分出しておきます。その後、経過を見たいので受診してください。予約は、いつごろが良いでしょうか――

 診察が終わり、女性は待合室で座って待機している。表情が暗いのが、私からでも見て取れる。おそらく橘さんが見たらもっと暗く見えるのだろう。女性にとって高身長は憧れの1つではあるというが、行き過ぎれば苦痛に変化するらしい。何より、この国の施設は背の高い人に合わせて作られていないのだから。
 受付の筧さんの前で俯いて呆然と待機する女性に、橘さんが近寄り、しゃがみ込む。彼女は最初ちらと橘さんを見てから、徐々に目を大きくしていった。240cmの女性なんて、ここ以外で会うことはできないだろうかな、物珍しさに驚くのは当然だろう。
「こんにちは、雑用係の橘といいます。私は世界初の超高身長症の患者なんですけど、もしかして、知っていたりしますか?」
「い、いえ。ごめんなさい・・・・・・身長が、お高いですね」
「はい、240cmあるんです。ギネス申請は断ったんですけど、世界一みたいです」
 橘さんは手を差し出した。女性はそれを握った。橘さんの大きな手が、女性の相対的に小さな手を包み込んでいる。
「不安ですよね、超高身長症。新し過ぎて、何もわかっていないなんて」
「はい・・・・・・わたし、これからどうなるんだろうって。服も靴も最近買い換えましたんですけど、またそうすると思うと・・・・・・」
「わかります。でも大丈夫です。ここの先生、少し無愛想ですけど世界一の超高身長症の研究者ですから。すごい人なんですよ。先生がいなかったら、今ごろ私は成長のしすぎで寝たきりだったかもしれません。そのうち、完治するものを作ってくれるはずですから」
 橘さんの励ましで、女性の顔が少し穏やかになった気がする。自分のことを褒められるのはむず痒いが、実際に目の前でされていることから目を背けるのは非科学的態度だ。筧さんが女性を呼び、私は部屋に引っ込んでカルテの整理をする。しばらくすると、橘さんが背中を丸めて私の部屋に入ってきた。240cmあるドアなので、今のところ彼女は背中を曲げる必要はないはずなのに、彼女はいつもそうする。
「橘さん、猫背は危険だとあれほど」
「すみません、つい癖で。それより先生。そろそろ先生が直接患者さんを励ますべきではないでしょうか」
「適材適所です。私は人と感性がズレているらしい。それに、同じ病気を抱えたあなたがやった方が良いでしょう」
「確かにそういう時もあるとは思いますが・・・・・・でも先生はやはり賢いお方ですから、その気になれば、たとえ演技でも普通の会話をできると思います。さっきだって、私たちの会話を聞いていたじゃないですか」
「それは、私の研究ですから。演技、確かにできるかもしれませんが、ボロが出ないとは限りません。そうならないと確信できたらやるでしょう。それまでは、橘さんにお願いします。それがあなたの仕事です」
「はい・・・・・・そうですよね。わかりました、では、これからも頑張ります」
 音が出ないように控えめに引き戸を閉めて部屋から出ていく。カルテの整理が終わった、今日の診察はおそらく終了だ。私はパソコンをつけっぱなしにして研究室の方に移動することにした。


[2]
 小学4年生の女子。小学校入学次は年に4㎝程度の緩やかな成長をしていたが、2年生の時以来年に15cm以上伸ばすようになった。2次成長期にはまだ早いし、2年間も激しい成長が続いたためおかしいと感じた親が彼女を内分泌系の病院に連れていったところ、うちを紹介されたという。
 1年生で104cm、2年生で108cm。それから2年で32cm背を伸ばし、今年の春の測定で140cm。小学生の患者は初めてなので見た目や成長記録からの判断は難しいが、骨を調べればわかるだろう。

-こんにちは、彩さん。
「こんにちはー!」
-元気ですね。さて、彩さんは何年生かな?
「4年生! 背の順では真ん中くらいです」
-そっかそっか。それでー、2年生の時から身長が伸び始めたんだよね? どう、大きくなって嬉しい?
「うん! あ、はい!」
-そうそう、元気が1番。元気ならそれでいいんだけど、もしかしたらそのうち脚の骨が痛くなるかもしれないから、今日は検査だけしようか。じゃあ、隣の部屋に行こうか。

 聞いたところでわからないので、とにかく検査をする。結果が出るまでに1時間ほどかかるので、その間に別のインタビューをする。それは、成長期にある彼女がこの病気を、病気と見做しているのかについてのインタビューだ。

-彩さんは4年生、ってことはもうクラブは始まっているのかな?
「はい。バスケ部に入っています!」
-バスケかー、上手にできている?
「まだまだ下手だけど・・・・・・でもこれから身長も伸びていくと思うし、そうすればもっと活躍できるかなって、思ってます」
-そっかー。じゃあそれなら、身長はまだ伸ばした方がいいのかな?
「はい! 私、昔から小さくて、みんなにからかわれてきたけど、今は普通の身長になれてよかった」
-なるほど。じゃあ、病気は治らないほうがいい?
「え?」

 黙る少女。お母さんが黙ってこちらを睨みつけてきた。病気を治さないとは何事か、そんな表情。これが、この病気に伴う難しさでもある。病気とは何か、子供の成長は病気か、そんな問題がつきまとう。
 私は少女との会話をやめて、お母さんに話しかけることにした。

「お母さん。超高身長症は大人になって発症した場合は異常と見做し投薬による治療が必要となりますが、子供の場合、本来の成長とのバランスを考えると治療しないほうが賢明かもしれません。大人になったのは見た目だけで、臓器は年相応の状態で巨大化しています。なので、治療は少なくともお嬢さんの初潮の後が良いかと」
 ・・・・・・お母さんは黙り込む。もっとも、最初から黙り込んでいるのだが。彩さんは、不安そうに周りを見回している。

-彩さんには、夢ってある?
「えーと・・・・・・バスケ選手になりたかった」
-それは、いつから?
「保育園の時から。テレビですごい大きいバスケ選手を見て、すごく格好良くて、でも彩はチビだからって諦めてて、でも身長が急に伸びてきて、もしかしたらいけるのかなって・・・・・・」
-なるほど。じゃあ、治療はまた今度にしよう。そのうち初潮っていうのが来るから、そうしたら来てね。最後に言っておくけど、この病気はいつまでも背が伸び続けるの。何も治療をしないとお母さんと同じ歳になっても、伸び続ける。するともう、300cmとかまで大きくなっちゃうわけだけど、人間の体はそんなに丈夫にできていないから、良くて寝たきり、悪ければ死んじゃう。だから、身長が伸びるって最高、とか思わないでね。将来のことまで考えてね。
「は・・・・・・はい」
-それじゃあ、今日はこれでおしまい。もし気になることがあったら、いつでもきてね。それじゃあ、バイバイ。
「ありがとうございました」

 診察室から出ていく母娘。その途端私の背後に、彼女の気配がする。
「あれで、良かったんですか? 先生の話では、成長に伴う臓器の成熟と超高身長症による肥大化は全く独立の現象だと」
「まあ、動物実験ではそういう結果が得られていますね」
「あの子、いつか悩む日がくると思います。なので、少しでも早く投薬したほうが」
「それは、あの子とお母さんが考えることですから。お母さんは何も言わないので、あの子に聞いて、そういう結論が出た。それではいけませんか?」
 橘さんは何も言ってこなかった。もっとも、いつか悩む日が来る、というのは彼女の経験談だ。彼女も最初は自分の成長を喜んだ、しかしやがてそれがきっかけで悩むようになり、そして夢も破れた。そんな彼女は、成長を喜ぶ小学生を見ても、素直に喜ぶことができないらしいのだ。
「・・・・・・すみません、橘さん。せっかくのご助言を」
「いえ、私の方こそ。私の価値観で物事を決めつけすぎていました。そうですよね、結局、話してみないとわからないですよね」
 そう言って橘さんは部屋から出ていく。お母さんの短い悲鳴が聞こえた。
「初めまして、橘美里っていいます。娘さんと同じ、超高身長症の患者です。彩ちゃん、初めまして」
「・・・・・・」
「いきなりごめんね、びっくりさせちゃったかな?」
「ううん、お姉さん大きい」
「うん、ありがとう。ねえ彩ちゃん、彩ちゃんの病気のことだけど・・・・・・」
「ねえねえお姉さん! お姉さんて身長何センチあるの? お姉さんて、スポーツとかやってた?」
「え? 身長は239cmで、スポーツは・・・・・・」
「うわあ、お手手大きい! お姉さんすごいね!」
「う、うん。それでね彩ちゃん」
「杉下さーん」
「あ、はい。こら彩、もう行くわよ。・・・・・・ありがとうございます」
 事務的な会話の後、玄関の開く音が聞こえ、院内が静かになった。私はそっと、診察室から出る。橘さんが待合室でしゃがみ込んで硬直していた。
「橘さん、どうでしたか? 彼女を説得できましたか?」
「・・・・・・いえ、全然。でも、もしも私があの子と同じ立場なら、同じようにはしゃいでいたかもなって、思いました」
「橘さん。あなたは杉下彩さんではないのですから、そんな推測は無意味と私は思います。それより、彩さんは病気をネガティブに捉えていましたか?」
「いえ、全く。でも、将来は悩むと思います。あの子はまだこの病気の本当の恐ろしさを知らないから。特に、スポーツ少女に降りかかる、本当の恐ろしさを」
「私は、それはその時考える問題だと思います。今やるべき事は、子供に副作用がでないことを確認すること。及び、根本的な治療法を確立することです」
 私はそれだけ言って部屋に戻る。橘さんにはまた嫌われてしまったかもしれない。こういう時、私は彼女の感情を慰めるべきだ。病気に人生を狂わされた経験を持つ彼女の心身ケアをするべきだった。しかし、私はそれができなかった、なぜなら私は医者であり、問題解決をするのが仕事だからだ。下手に嘘をついて仮初の慰めを与えるのは、心身ケアにはなっても問題解決の妨げとなるかもしれない。そう考えると私は心身ケアをする気にはなれなかった。特に今の問題は、彼女の問題ではないのだから。
 私がもう少し器用で賢ければ、患者を悩ませる事なく診察ができたのかもしれない。私は自分の無能さを呪う。しかし呪っても仕方がないから、私は研究室に向かうことにした。結局私はこれしかできないのだ。現象で人を救うことしかできない、心を救うことはできない。それは、私以外の人に任せる他ない。もっとも、そんな人がいればの話であるが・・・・・・


[3]
 受付で筧さんが、紹介状無しでの診療を希望する女性と口論をしている。口論は激しく、私の研究室にまで彼女らの声が聞こえてきた。
「紹介状無しでは受診できませんので、お引き取りください」
「どうして? 人を救うのが医療の役目でしょう。私は困っている、だから助けてください」
「あなたみたいな人が多く押しかけてしまうと、医療の場が混乱します。そもそもうちは外来を受け付けてはおりませんので、他の病院で検査をなさってから、それでも必要な場合は受診してください」
「でも、今は私1人しか客はいないじゃないですか、混乱はしないはずです。お金はあります、お願いです、私は超高身長症なんです。助けてください」
 私は白衣姿で部屋を出て、2人の口論を腕を組んで聞いていた。口論はやがて鎮まり、病気を自称する女性は私に気が付くなり、口論の相手を筧さんから私に変えた。165cmの私よりも頭1つ近く背の高い少女。顔立ちから察するに高校生か大学生、そこまで若くは見えない。
「ここの病院の先生ですか? お願いです、私を治してください」
「ちょっとあなた! すみません、ここは私がなんとかしますから、先生は研究の方を」
「いえ、あなたは超高身長症を自称していますね。この病気はとても症例が少ないので、もしもあなたが本当にそうなら、私としてもとても助かる話です。今回は、特別にあなたを診察しましょう。ただし、お金はかかりますよ」
「10万円、用意してきました」
「それなら診察くらいはできます。では、診察室へどうぞ」
 私は自分で、彼女を診察室へと案内する。見たところ病気の予兆は見られないし、見られたところで発症率からして他の病気の可能性の方が高い。でも、診察してみる。研究の息抜きにちょうどよさそうだし、こういう客にどう対処していくのかも、私には必要な経験だと思ったのだ。

-まずは、具体的なデータとともに、ご自身が病気であるという根拠を教えてください。
「はい・・・・・・これが私の成長記録です。中学のものと、高校のもの。私は中学入学時点で150.4cmでした。そして中学では毎年10cmずつ伸ばし、高校入学時点で180.7cmでした。そこからさらに1年で5.5cm伸ばし、186.2cmになりました。父は175cmと普通で、母も155cmしかないのに私だけこんなに背が高くなるのはおかしいです」
-なるほど。超高身長症では、2次成長期の成長が続くという特徴があります。しかしあなたは、確かに成長は著しいかもしれませんが、止まる兆候が見られているので、病気ではないかと。
「でも、超高身長症ってまだまだ未解明の部分が大きいんですよね。それなら、私のような患者がいてもおかしくないはずです」
-超高身長症というのは症状から病名が付けられました。なのでそういったことは起こりません。それはまた別の病気です。
「でも、今後また伸びるかもしれません。これ以上伸びたら、私は190cmの巨人女として過ごしていくことになります。これは大変なことです。そうなったら、あなたは責任が取れるんですか? 薬をくれれば防げたかもしれない結果なのに」

 目を剥き出しにしてこちらを睨みながら、彼女は私に薬をよこせと言う。こういう人は初めてではない。背が高すぎてコンプレックスや体の不調を抱く人は一定数いて、そんな人は超高身長症治療薬を、背の縮む薬のように捉えてしまうのだ。この薬は病気の原因である関節と臓器の相互作用を打ち消す薬であるため、ホルモンによって引き起こされる自然の成長を止める作用は一切ない。しかしそんな理屈は、悩みを抱えた人々には関係なく、人々は薬を求めるのだ。
 私は診察室の入り口に目を向けた。予想通り、彼女がそこにいて様子を伺っている。病気でないと分かった以上、これ以上私が相手をするよりも、彼女に任せた方が良いだろう。不毛な検査をして医療費を分取るほど、私は金には困っていない。説得で解決するのなら、それがよい。
「橘さん、入ってきてくれますか?」
 ドアがゆっくりと開き、頭をドアの枠に軽く擦らせながら彼女は入ってくる。240cmの現役超高身長症の女性を目の前にした少女は先ほどまでの反抗心はすでに消え失せたのか、信じられないといった様子で橘さんを見上げている。
「こちら、橘美里さん。世界初の超高身長症の患者です。今の身長は239cm、投薬治療で抑えてはいるものの未だ成長中です。彼女はある意味、この病気に関しては私よりも詳しい。橘さんと話してからでも検査や治療は遅くないでしょう。私は向こうに行っていますので、お二人で少し話してみてください」
 私は橘さんと入れ違いで、診察室から出ていく。そして、ドアに背を向けて2人の会話に耳を澄ませた。

「・・・・・・初めまして、橘です。お名前を伺っても、良いかな?」
「あ、はい。田村直美といいます」
「直美ちゃんは、身長高いの、嫌?」
「・・・・・・はい」
「そっか、私も嫌。今はこんなだけど、高1の時は180cmあった。病気のせいでそれからも中学の頃と同じように毎年10cm伸びていって、高校を卒業するときには210cmだった」
「210cmって、服とかは?」
「全部特注。私はバスケもやっていたから、ユニフォームとかも全部特注だった。まあ、それはチームが出してくれたんだけど」
「バスケ・・・・・・あ! 橘さんってもしかして、レッドブレスの」
「あ、知ってた? 嬉しい、でも背が伸びすぎて骨折を繰り返して、病気だってマスコミにバレてからは色眼鏡で見られるようになって、引退しちゃった」
「そうだったんですね・・・・・・あの、私もバスケをやっているんですけど、身長のおかげでレギュラーになれて、でもそのせいで先輩に色々嫌味言われたので、橘さんの気持ち、少しわかります」
「そう、良かった。身長高いって、嫌だよね。女子として見てもらえないし、長身活かしてスポーツをやれば嫉妬されて。何をするにも結局は身長が邪魔をする。でもね、嘆いても仕方ない。受け入れないと。直美ちゃんの身長はまだ伸びるかもしれないけど、それはどうしようもないから。受け入れて、そして前向きに考えましょう」
「は、はい・・・・・・」
「ちょっとは元気は出た? 検査は、しなくて大丈夫? ちなみに5万円くらいかかるけど」
「だ、大丈夫です! ありがとうございました。あの・・・・・・」
「なに?」
「あの、病気じゃなくても、たまにここに来てお話を聞くのって、いいですか? 忙しそうな時は、それまで待ちますから」
「うん、もちろん! いつでもおいで。こういう話、他の子には中々できないもんね」
「ありがとうございます!」
 私は咄嗟に隣の部屋に入り、診察室から患者が出ていくのを待つ。カルテを作っていないので、診察料は発生していない。最後に橘さんといくらか言葉を交わして、少女は出ていった。それを見計らって、私は橘さんにお礼を言う。
「無事にことが済んで良かったです。ありがとうございます」
「いえ、私の方こそ。それより、あの子にまた来ていいと言っちゃいましたけど、大丈夫でしたか?」
「まあ、邪魔にならない程度なら構いませんよ」
「ありがとうございます」
 にこり、と笑う彼女。私よりも頭3つ大きな彼女、私の目線には彼女の肘が来るほどの長身女性から降り注ぐ、子供の笑顔。橘さんが笑うのは久しぶりに見た気がする。こんなに美しい女性なのに、背が高いと言うだけで世間は拒絶をするようだ。
 彼女たちはどのように生きていけばいいのか。施設は小さすぎるし、見た目は大きくても力が強いわけではない。しかし他者と関わらなくては生きていけない普通の人間だ。橘さんに、私が自ら患者を慰めるべきだと言われたことを思いだした。それはこういうことらしい。この病気の本当の恐ろしさ、それは病気らしくないという所にある。そんな患者の、治療中の、そして治療後のケアについて本気で考える時期がきているのかもしれない。


[4]
「それで、この前の身体測定で189.6cmだったんですよー」
「まあ、そろそろ洋服とか、メンズでもなくなるくらいじゃない?」
「そうなんです! 服なんて、サイズ探すだけで大変になってきて・・・・・・でも、美里さんは、もっと大変そうですね、なんかすみません」
「いいのよ。それに私は全部特注だから、逆にそういう心配していないし。お金はかかっちゃうけどね」
「そうですよねー。あー、早く成長止まらないかなー」
 ふふ、と上品に微笑む橘さん。成長が止まらない病気の人の前でそんなことを言ってしまう田村さん。普通の人なら怒りそうなものだが、橘さんの心はとても広い。思春期の少女の抱く、側から見れば理不尽で自分勝手とも取れる切実な悩みを理解している彼女は、少女に対してとても優しい。
 玄関のベルが鳴り、私はさっと診察室に身を引っ込める。情報収集は私の研究のために必要なことだが、診察はきちんとしなくてはならない。今日の患者は、22歳の若さで日本女子バレーのスターとなった、村田恵さん。半年前に測定した身長は196.3cmで、3年前から超高身長症でうちに通っている。
「あ、恵さんこんにちは」橘さんが挨拶をする。常連なので、気さくに言葉をかけるのだ。
「こんにちは」
 受付を済ませて、村田さんが診察室に入ってくる。サングラスとマスクを外した彼女の表情は、以前よりもさらに暗くなっている。
「まずは、身長を測りましょう」
 無言で頷き、自分から身長計に乗った。197.8cm、1.5cmの増加。薬で抑えてはいるものの、相変わらず成長は続いている。彼女は一層表情を暗くして、ため息をついた。私の胸がチクリと痛む、それを観察することしかできない自分が嫌になる。その後一通りの基本的な検査を済ませて、近況確認に移る。恐らく、彼女は最も苦しんでいる超高身長症患者ではないかと、私は思っている。そんな彼女を、私は医者としてできる限りケアしたい。

-まずは、近況を聞かせてください。膝の痛みなど、健康面での悩み事はありませんか?
「はい、それは特に・・・・・・むしろ最近は病気よりも、チームとの摩擦の方が」
-やはり、まだ理解は得られないと?
「はい、特に海外でプレーするときは。私より背の高い、200cmくらいの選手もいるんですけど、みんな成長期の時は色々苦しんだらしくて。そして背が高すぎて動けない人も中にはいますし。でも私は身軽に動けているので、それで」
-状況は、変わりませんか。
「はい。私自身、なんとなくずるいなと思ってしまう時もありますし。かといって手を抜くのもなんか違うと思いますし、第一そんなことしたくないです」
-わかりました。今後も投薬治療は続けますか? 身長の伸びを抑制して、よろしいですか?
「どうしましょう・・・・・・本来は伸ばした方がいいんでしょうけど、ますますバッシングを食らいそうで。最近は外国人選手の身長制限なんて話も耳にしますし。はい、投薬を希望します。でも、それでも、少しは伸びてしまうんですよね?」
-今のところは・・・・・・承知しました。では、また3ヶ月分をお出しします。
「ありがとうございます。あの、以前おっしゃっていた新しい治療法というのは」
-すみません、まだ開発段階でして。しかし、動物実験の段階に入り、少しずつ実用化が見えてきました。
「それは、どういうものなんですか?」
-今までの薬は、関節と臓器の相互作用を抑制する物です。しかし今度の治療法は、関節の異常を根本的に治すものです。それが実現すれば、将来は病気の完治が見込めます。
「それはすごいですね!」
-しかし、まだ完成はしていませんので。未来に期待していただければと思います。それでは、今日はこの辺りで。
「はい、ありがとうございました」
-いえいえ

「すみません! あのー、もしかして村田選手ですか?」
 元気な女の子の声が聞こえた。杉下さんも来ていたらしい。夢見るバスケ少女と、夢が叶って現実に心を痛めるバレー選手。2人はどう接していくのだろうか。
「うん、そうだよ。名前知っててくれて、ありがとう」
「きゃー! 本物のバレー選手だー! あ、私、杉下彩っていいます。小学5年生です」
「5年生・・・・・・この病院に来ているってことは、彩ちゃんも超高身長症なのかな?」
「はい! 165cmあるんです。去年も15cm伸びました!」
「15cm? それはすごいねー。6年生よりも大きいんじゃないかな?」
「そうです! バスケットボールのクラブチームに入っていて、そこでも1番大きいんです」
「そっかー。ちなみに、お友達は病気のこと、知ってるのかな?」
「えーと・・・・・・なんか、ずるいって言われそうで、言ってないです」
「うん、言わないほうがいい。でも、そのうちバレちゃう。そして同期にも先輩にも、果ては監督にも病気のことを悪く言われるようになる・・・・・・彩ちゃんは、バスケが好きなのかな? それとも、バスケをやって、みんなが彩ちゃんすごーいって言ってくれるのが好きなのかな?」
「え、えーと・・・・・・」
「・・・・・・ごめん、難しかったね。でもこれだけは覚えておいて。この病気は確かにスポーツをやる上ではメリットになるけれど、病気で強くなった人を、さっき彩ちゃんが言ったみたいにズルイって言って邪魔する人もいる。別になろうとしてなったわけじゃないのに、みんなそう言ってくる。最近なんて、わざと病気にしようなんて考えている科学者もいるって噂だし・・・・・・彩ちゃん、強く生きて、そしてよく考えて。何があってもやってやるって気持ちじゃないと、プロの世界では生きていけないから」
 直後に玄関の開く音がする。さっきまでほのぼのと雑談していた待合室から声が聞こえなくなった。この病気の最も恐ろしいところは、その病気らしからぬ症状にある。体が若くなり、背が伸びる。一見魅力的な症状だが、生理的な困難がなくとも物理的に体が耐えられなくなってしまう。また、村田さんのように、世間に誤解されてしまうこともある。病気というのは体の機能が正常でなくなった状態に過ぎない。超高身長症はその意味で病気だ。しかし世間は、病気は人を苦しませるべきだと信じている。
 私には大衆の動きを変えることはできない。人々のこの病気への圧力は抵抗ではなく嫉妬だ。美容整形の普及のようにはいかない。嫉妬という感情はあまりに力強く、理屈では動かせないし、感情に働きかけるほどこの病気には負の症状がない。
 村田さんが杉下さんに言った通り、患者に強くなってもらうしかないのだろう。軽蔑されても自分が良いと思う方向に進む精神力が必要なのだろう。しかし、それを具体的にどう実現すればよいのだ。・・・・・・私はその答えを用意するほど賢くはないようだ。


[5]
-171.3cm、投薬後の成長は年に2.6cmですね。
「はい、収まってくれて、何よりです」
-病気が原因で、言い換えれば長身が原因で何か嫌なことはありますか?
「まあ、男性に揶揄われるくらいで、特には。あ、でも、もうすぐ社会人だっていうのに、服が小さくなって買い替えるっていうのは、面倒くさいです」
-まあ、確かにそうですよね。
「たまに、これから一生伸び続けたら、10年後には200cmになっちゃうのかなって思って不安になることがあります。会社の制服、何回買い替えるんだろう、とか。そもそもサイズあるのかな、とか」
-そのあたりは、私の方でもオーダーメイド専門の服屋を紹介するなど、多少の手助けはできますので、ぜひ相談してください。他には何か?
「えーと、特にありません」
-では引き続き、新しい治療法が出てくるまでは投薬治療を続けましょう。薬、3ヶ月分出しておきます。
「はい、ありがとうございます」

 淡々とした診療を済ませ、今日の分の仕事は終わる、もっとも、最近は予約して来院した患者の診察よりも、雑談のために集まる患者たちの生々しい会話を聞く時間の方が長い。今日は杉下さんと、初めて見る、杉下さんの友達らしい女性が来ている。
「あ、先生。お仕事終わりですか?」
「はい、予約の分はこれで」
「じゃあ、この子を見てもらえませんか? 小学校の1つ下の子なんですけど。智江ちゃん、立ってみて」
 杉下さんに促されて、彼女はゆっくりと立ち上がる。小学5年生にして、180cmの杉下さんよりも背が高い。さすがに橘さんほどではないが、村田さんくらいはありそうだ。
「この子、両親が病院とか連れて行ってくれなくて。幼稚園の頃から15cmくらいずつ背が伸びていて、それで私と同じ病気じゃないかって思って」
「なるほど。ちなみに春は何センチでしたか?」
「えと、春は200.2cmでした。でも、なんか最近はすごく伸びるようになって」
「昨日測ったんですけど、1ヶ月しか経ってないのに205.4cmだったんです」
 1ヶ月で5.2cmの伸び、以前の6倍の成長速度。こんなことは前例がない。超高身長症は、毎年2次成長期程度の伸びで成長する。成長速度は変化しない。
「成長記録とか、ありますか?」
「あ、あります。幼稚園と小学校のと、あと彩ちゃんが測ってくれたやつが」
 厚紙で作られた成長記録と、ノートの切れ端に小学生の字で書かれた成長記録を、205cmの少女から受け取る。杉下さんが測ったというのは、直近2年間、月に1度のペースで測定されていた。幼稚園の年中で110.8cm、そこから毎年15cmずつ伸びている。小学校入学時に140.2cm、5年生の春に200.2cm、しかしこの1ヶ月で5cmも伸ばしている。
「他の病院には行っていないんですよね?」
「はい。あのー、お母さん忙しいから・・・・・・」
「そうですか・・・・・・もしかして、電話しても来てくれない?」
 黙って私を見下ろしながら、少女はこくんと小さく頷いた。大規模な検査には親の同意が必要になる。その親が親として機能していないとなると、まずはそこから解決しなくてはならないが、あまりに時間がかかりすぎる。病気はそれを待ってはくれないのに。
「とりあえず、簡単な検査をしましょう」
「あの、お金は・・・・・・」
 気まずそうに私は見下ろす彼女に、私は笑顔を作って答えた。
「気にしないでください。先生はお金持ちなので、1回の検査くらい奢ってあげますよ」
 ほっと安堵の一息をつく少女。その後ろで杉下さんも安心したようだった。
「そういえば、まだ名前を聞いていませんでした」
「あ、山野智江っていいます」
「山野さんですね。では、ついてきてください――」

 検査の結果、超高身長症は認められた。しかし普通よりもかなり反応が強く出ていることがわかった。安静静脈注射で採血し、ホルモンの検査を外部の病院に依頼したところ巨人症の症状も見られることが判明した。つまり、山野さんの急成長は超高身長症と巨人症の合併によるものらしい。
 しかし、1つ奇妙な点があった。巨人症は脳下垂体に腫瘍ができることで発生するのが普通だが、彼女の下垂体に腫瘍は認められなかったのだ。その代わり、関節と脳の相互作用が普通よりも強くなっていた。
 研究の結果、私は超高身長症が巨人症に似た状態を引き起こすのだと結論した。そしてそのきっかけとなるものは、2次成長期である。2次成長によって関節が刺激を受けることで超高身長症が悪化する、それによって臓器が影響を受け、下垂体が活発化し成長を促す。結果、巨人症と似た状態が実現する。下垂体の異常による成長ホルモンの異常分泌、それに伴う巨人症特有のアンバランスな成長が、超高身長症によってカバーされるのだ。
 よってこの病気は広義には超高身長症に等しいとも言える。しかし、成長があまりに激しい。私が突貫的に原因究明をしている間にも山野さんの成長は続いた。投薬治療は副作用の可能性を考慮して行わず、その結果山野さんはこの2ヶ月で12cm背を伸ばし、最新の測定で217.6cmとなった。
 しかし原因が分かったところで治療法はない。開発中の光学治療くらいしか、期待もできない。ここで私は選択を迫られる。安全の保証がない光学治療を今すぐ使うか、急がば回れで慎重に開発を進めるか。これは、私1人で決められる問題ではなかった。


[6]
「智江ちゃん、身長伸びたね」
「うん、でも思ったより伸びてないみたい。彩ちゃんに会ったら、すごく小さくなっているかなって思ってたんだけど」
「何センチ伸びたの?」
「12cm・・・・・・217cmあるの。また伸びたかも」
「そうなんだ・・・・・・えーと、怖い?」
「うん、すごく怖い。もっともっと大きくなって、怪獣みたいになっちゃったらって、そんな子どもみたいなことを本気で考えちゃう。前にクラスの男子に、杉下はあのまま身長が伸びていって20mくらいになるんだなんて馬鹿みたいなこと言われたけど、本当になるかもって思うと・・・・・・」
 ソファーに隣同士で座って悩みを受け開ける少女たち。私は適当なタイミングで姿を現し、2人の前に座る。杉下さんのお母さんが、少し離れたところから2人を見守っている。しんと静まった空気の中で、私は話を始める。
「今回お話しするのは、智江さんが発症した、超高身長症による合併症の治療法についてです。結論から申し上げますと、治療法はあります。しかし、研究段階で、安全なものかはわかりません」
「それって、もしかしたら私、やったら死んじゃうかもしれないって・・・・・・」
「可能性は否定できません。しかしこのまま治療しなければ、病気は悪化する一方です。そちらの方が危険かもしれません。そこで、お二人に尋ねます。お二人のどちらかに治療を受けていただきたい。いわゆる人体実験です。安全は保証できません」
「人体実験?」
 彩さんが首を傾げる。私は彼女の目を見て、はっきりと頷いた。智江さんは意味が分からないのか、それとも怖くて仕方がないのか硬直していた。
「最初にあなたのうちの1人に治療をしてみて、そこで得られた結果を、もう1人に使って治療するんです。最初に治療した方は、もしかしたら一生寝たきりになってしまうかもしれません。しかしその次に治療した方は、比較的安全に治療ができます」
「あのー、私たちじゃなきゃダメなんですか?」
「はい。成長期の患者に対する実験ですので、お二人以外にできる人はいません。もちろん、治療を受けないという選択もありますが、その場合は恐らく、あと数年は治療できません・・・・・・」
「あと数年・・・・・・そしたら私・・・・・・」
 ポロポロと涙を流す智江さん。茫然と俯く彩さん。彼女は少し前まで自身の病気を喜んでいた。こんな未来を予想だにしていなかったのだろう。あまりに残酷であるが、伝えないわけにはいかない。
「あの、私もー」
「私が治療を受けます!」
 彩さんの言葉を遮って、智江さんが急に声を上げたので私は少々驚いた。目を赤くしながら口元を引き締めて、座った状態で私をまっすぐ見下ろしていた。
「どうせ治療しないと大変なことになりそうだし、それに、私が実験体になれば、彩ちゃんは安心して治療できるんですよね?」
「断言はできませんが、その可能性は高いでしょう」
「それなら、やります。彩ちゃんには優しくしてもらってばかりだったので、その恩返しに。ここを紹介してくれたし、私を家族にしてくれたし。今度は私が、彩ちゃんのために頑張る番だと思うんです」
「智江ちゃん・・・・・・それなら、私もやります!」
 予想外の返答、しかし、それは受け入れられない。
「すみません、研究者は私1人なので、2人を同時に見ることは」
「そう、ですか・・・・・・」
「はい。でも、全身全霊で、治療をさせていただきます」
 笑顔を作って彼女を励ます。申し訳なさそうにする彩さん。しかしやがて心が落ち着いたのか、にこっと可愛らしい微笑みとともに、大きく力強く頷いてくれた。
 彼女の意志が確認できたところで、私はお母さんに目を移した。
「お母さんは、それで構いませんか?」
「彩と智江の意志を尊重します。2人がそう決めたのなら、私は何も言いません」
 再び2人に目を移すと、姉妹は力強く、同時に頷いた。私は書類を取り出して署名を求めた。

 杉下智江さんの治療が始まった。事態はあまりに複雑で、治療の様子を語ることは非常に難しく時間がかかる。成功と失敗を繰り返しながら試行錯誤で進んでいき、最後には智江さんの体が治療に耐えられるかというのが最大の問題となった。研究のために殺すことなく、しかし苦しませながら治療を進めていった。人間の尊厳とは何か、そんなことを考えたら気がおかしくなりそうだったので、考えないようにしていた。
 研究中は、見舞いもできる限り受けないようにしていた。私は普段の治療では、できる限り患者の私生活を知り、そこから知見が得られないかと考えていた。しかし膨大なデータと向き合う日々、これ以上の情報を入れてしまうと私は頭がおかしくなると思い、患者さんには申し訳ないがそうさせてもらった。それでも智江さんの心身の健康のためにある程度は受け入れた。橘さんがよく見舞いに来ていたのを、治療が終わった今になってなんとなく思い出すことができる。
 半年が経った。治療中も智江さんの成長は、多少は緩やかになりながらも進んでいった。最初217.7cmだった彼女は最後には242.4cmとなった。半年で24.7cm、これでもかなり食い止められた方だとは思う。
 そして治療は成功した。今後の経過は注意深く観察しなくてはならないが、ここ10日間の経過は良好だ。この半年で、超高身長症治療は非常に進歩した。超高身長症は不治の病ではなくなったと言っても、ある程度は正しい。橘さんには随分と待たせてしまって申し訳ない。半年前は、245cmくらいだっただろうか。もう少しでギネスに載ってしまうと、不幸自慢をしていたのを思い出した。

 智江さんの退院を祝って、様々な人が研究所にやってきた。橘さんや村田さん、田村さんなど。彼女たちは治療が終わり、以前のように動けるようになった智江さんを見て大いに驚く。1番驚いたのは橘さんで、自分とほとんど身長の変わらない智江さんをやや見下ろして、彼女ならではの悩み事を智江さんに語っていた。
「電車の天井って何センチあるか知ってる? なんとね、225cmしかないの! しかも入り口が180cm。胸くらいの高さしかない」
「そんなに小さいんですか? じゃあ、私もう電車に乗れないかも・・・・・・」
「そうね、電車の中ではずっと中腰だから、厳しいわね。先生からは猫背はダメだって言われても、実際に生活するためには猫背にならないといけないから、大変だったわ。でも、智江ちゃんのおかげで治療法が確立した。もう、これからのことで悩まなくてよくなった。ありがとう」
「はい! 私も、人の役に立てて良かったです。三里さんは、いつ治療するんですか?」
「明日することになったの! 先生には無理を言っちゃったけど、できるだけ早く受けたいから」
 いつもの癖で、私は隠れて2人の会話を聞いて情報収集に努めている。しかし、今後はこんなことをする必要はない。私の仕事はとうとう終わりを迎えようとしているらしい。実感が全く湧かないが、やがてあの病院も潰れるのだろう。
「先生・・・・・・」
 懐かしい声が聞こえた。そういえば、彼女と会うのはいつぶりだろうか。研究中、1度も見ていなかった気がする。途端に胸騒ぎがした。
「お久しぶりです」
 振り返った目の前には、壁があった。それが洋服の1部であると気がついたのは少ししてからだった。恐る恐る首の角度を増していくと、ほぼ直角まで傾いた時初めて彩さんの代わり映えしない童顔を確認することができた。
「・・・・・・すみません、彩さん。気がつけなくて」
「いえいえ! これは私の試練なんです。智江ちゃんが私たちの頑張っているんだから、私も何かをしなきゃって」
「あれ、彩ちゃん来てくれたの!」
 智江さんがドアをくぐって病室から出て、私と同じように壁の後ろに隠れていた彩さんを見上げて口をぽかんと開ける。
「え、彩ちゃん・・・・・・」
「智江ちゃん、久しぶり! 私にもね、成長期が来たの。智江ちゃんよりも大きくなっちゃったね!」
 笑顔で智江さんを見下ろしながら胸を張る強く優しい少女がそこに聳え立っていた。


[7]
-172.7cm、変わりはないですね。関節の方も、正常です。
「はい、止まってくれたみたいで、良かったです! これでやっと、服の悩みから解放されます。先生、ありがとうございました」
-いえいえ、お疲れ様でした。杉下智江、杉下彩という少女が、超高身長症の研究のために身を削って貢献してくれたんです。彼女たちのおかげで、そして私を信頼してくださった患者さんのおかげで、私はこの治療法を開発することができました。
「智江ちゃんと彩ちゃん・・・・・・ありがとう」
-何か気になることがなければ、次は・・・・・・半年か1年後くらいに電話をさせていただきます。治療法が確立した以上、この病院はそのうち潰します。あなたはもう薬を飲む必要もありませんし、病院に来ていただく必要もありません。
「先生、2年半お世話になりました」

 最後に深々と頭を下げて彼女は去っていく。待合室で智江さんと彩さんとしばらく話をしてから、女性は玄関を開けて去っていった。私が彼女と会うことは今後2度とないことを願うばかりだ。
「先生、病院なくなっちゃうんですか?」
 智江さんは悲しそうな表情で首を傾げる。座った状態でも私とほとんど身長が変わらない彼女と目線を合わせて話すのは、未だに慣れない。
「まあ、もう必要ないので」
「なくなっちゃうの、悲しいです」
「要らないものは捨てられる、当たり前のことです。そうだ、この病院、智江さんたちにあげてもいいですよ」
「え、本当ですか!」
 隣の彩さんが目を輝かせる。智江さんとほとんど変わらない長身だが、正確には彩さんの方が5cmくらい背が高い。こんなに大きい彩さんが、私は未だに慣れない。
「はい、洋服屋をやりたいんでしたよね」
「洋服屋じゃなくて、オーダーメイドファッションセンターです! 1人1人に合わせた服を作るんです!」
「バスケは、もういいの?」
 橘さんが優しい表情で尋ねる。彩さんは一瞬黙り込んだが、すぐに元の笑顔に戻った。
「バスケって、私みたいに大きい人がやるよりも、小さい人がやるほうが格好いいなって思って。人を感動させられるなって思って。私は人の役に立ちたいから、バスケよりも服屋になった方がいいって思ったんです」
「せっかく身長高くなったのに、それは活かせないけど、いいの?」
「活かせます! 自分で作った特注の服を着て街を歩いて、あー、あの服素敵ーって思ってもらうんです。CMなんて流さなくても身長高い私達が着ればみんな注目してくれます!」
「なるほどー。彩ちゃん、よく考えてる!」
 橘さんに褒められて照れる少女。そんな彩さんに目を細める橘さん。なんとなく、橘さんが大人っぽくなった感じがする。もっとも30過ぎた女性にそんな言い方をするのも失礼だが、彼女は最近まで、顔だけを見れば中学生だったので、治療が終わった彼女のここ最近の大人びた顔つきと彼女の振る舞いを見ていると、そんな風に思えてしまう。
「で、先生! この病院、本当にもらってもいいんですか?」
「ええ、どうせもう使わないものですから、良ければ。利益が出るまでは、私が税金とかは払いますし。橘さんも、今までお世話になりましたし、これから色々大変だと思いますから、可能な範囲で手伝いますよ」
「ありがとうございます、先生。でもどうしよう、どうせなら私が専門学校とか行った方がいいかな? 2人も、少なくともあと3年は学校でお勉強しなくちゃいけないでしょ。それなら、ちょうど良さそう」
「それいい! じゃあ、美里さんは学校を卒業してからで、私達は中学校を卒業してからお店を開こうか! よし、決定!」
 彩さんの元気な声が院内にこだました。智江さんは、目を輝かせながら彩さんの語る将来像を聞いていた。橘さんは相変わらずにこにこと少女の考えを聞いていた。
 240cm超の3人はこれからどこに行くだろうか。私は医者として、患者のその後の人生も含めてケアしなくてはならない。では、私に何ができるのか。くたびれてしまった私は自力でそんなことを考えることができない。それなら、少女たちの望むことを可能な限り叶えてやるべきだろうと、私は嬉々と雑談をする彼女らを見ながら思うのだった。それがどういう結果を生むかは知らないが、私にはそれしかできないのだから。
 さて、私はこれから何をしようか。何を研究しようか。誰のために何をしようか。病気の後遺症を受け入れて明るく振る舞う彼女たちを見ながら、私は私で、自分の将来を考え始めた。
-FIN

創作メモ

リクエストを募集しておきながら、実はリクエストに応えるのは苦手です。人の為に書くというのが苦手なんです。しかしこの小説は私の趣向によく合って、書いていて楽しかったし、書き終えた時は達成感を感じることができました。フェチ小説としてはあまり面白く書けませんでしたが、私は満足しています。もう少し練って書くべきだったとは思いますが……