箱入り娘

 特別高いところに置かれた鍋を、背伸びして取ろうとする1人の男がいた。身長190cm、世間では超高身長と言われる彼。しかしこの家では決してそんなことはない。
「あ、兄さん困ってる」
「困ってるから、助けてあげよう」
 通りかかった女性2人が、ひょいと手を上げて鍋を取り、兄に渡した。
「ああ輝羅、ありがとう」
「いえいえ」
「高いところは、私たちに任せて」
 そして、ぽん、と彼の頭を軽く叩く。子どもっぽい笑みを浮かべて姉妹は小さな兄をからかった。長女の美羅と、次女の輝羅。身長はそれぞれ、以前の測定で204cmと208cm。家族で2番目の長身と、1番の長身を誇る姉妹だ。
「おい、美羅ー!」
 男に呼ばれて、美羅は庭に出て彼に向かって返事をした。
「あー、涼介くん」
「言ってたDVD、借りてきたぞー」
 DVDを握った手を、美羅に向かって振る青年。美羅は彼の元へと小走りで向かい、頭ひとつ背の低い彼が目の前に掲げるDVDを直立した状態で見る。
「あー、いいじゃん、見よう見よう! 綺羅も、一仁兄さんも一緒に見よう!」
「うん、見たーい!」
 綺羅が返事をすると、美羅は涼介の手を引いてテレビの前にやってきた。3人の兄妹と涼介が一緒の部屋に入ると、185cmというそれなりに長身の涼介はまるで小人になったような錯覚を覚えた。
「おー、何してるん?」
「今から映画見るの!」
 兄がぞろぞろとリビングに集まってくる。柳川家は6人兄妹で、皆190cm以上ある。1番背の低い一仁は190cmで、男で1番の長身は198cmある。涼介は美羅の幼馴染で、185cmあるが姉妹の知る男の中では1番背が低い。そんな環境のせいで、姉妹は男性の平均身長は195cm程度で、小柄な人でも185cmはあると思って今まで生きてきた。
 涼介とは家や身分が近いこともあって美羅とは仲良くしていた。それ恋愛関係を全く意味しないものであったが、2人の関係は良好であった。
「そういえば2人は、いつお見合いするんだっけ?」長男の嘉仁が尋ねると、美羅はこくこくと首を左右に動かした。
「お見合いってほど畏まったものじゃないけど、えーと、明後日くらいだっけ、綺羅?」
「うん、確か。喫茶店で男の人とお茶するって」
「そうか。まあ、気長に考えろよ」
「うん。あー、どんな人が来るんだろうなー」
 美羅は天井を見上げて男性の姿を想像する。お嬢様として狭い世界の中で育った姉妹は初恋すらしたことがなく、近所付き合いも乏しかったため男女関係というのが未知であった。そんな、未知のものに対する憧れを抱きながらも、映画が始まるなり姉妹はそちらに釘付けとなり、お見合いのことなどさっぱり忘れてしまった。



 スーツ姿の大柄な男が新幹線に乗って山に囲まれた辺鄙な地へとやってきた。普段は大手広告代理店でバリバリと働くサラリーマンで、学生時代から続けてきたラグビーを未だに続けている典型的な体育会系である。180cmの長身に加えて、トレーニングで大きくなった体は見るものを圧倒する。
 そんな、男らしさを備えた彼は女性付き合いにも熱心で、お嬢様と出会えるという文句に誘われてはるばるやってきた。スマートフォンで道を確認しながら、待ち合わせ場所になっている喫茶店に到着する。そして、ドアの前でネクタイを直し、胸を張って堂々と入店した。鐘が鳴り、姉妹が入口に注目する。
「あ、あの人かな?」
「そうかな? なんか・・・・・・」
 店内を見渡し、白百合の入った花瓶が置かれた机を見つけ、男はそこに向かう。小顔ですらりとした姉妹が並んで小さく手を振った。男はにこりと微笑み、席につく。
「あ、やっぱり。お兄さん、小さいですね」
「え?」
 初対面での、唐突で無邪気な妹の侮辱。180cm、座高100cmの男は座った状態で姉をやや見下ろし、妹と目線を合わせている。180cmもあれば、女性であれば大抵は大きく見下ろすにもかかわらず姉妹に対してはそうであることに男は驚いた。
「えー、身長、お高いですね」
「はい。家族で1番高いでーす」
「私は、2番目でーす。お兄さん、背比べしてみませんか?」
 返事を待つことなく、姉妹は長い脚を机の下から抜き出して、立ち上がる。男は気は進まなかったが、美人に誘われて体が勝手に動いた。そして背筋を伸ばした時、男は動揺した。何度も何度も、姉妹の頭とつま先を繰り返し見たが、そこに大したズルはない。ヒールで5cm程度背を高くしてはいるものの、そんなものは関係なかった。
「うわあ! 身長、何センチあるんですか?」
「え、180だけど」
「ええ〜、ちっちゃい!」
 くすくすと笑いながら男を揶揄う輝羅。美羅はそんな妹をにこにこしながら眺めている。
「涼介くんより小さいね」
「ねー! ヒールのせいかもしれないけど、この人肩までしかないよ!」
 肩と男の背比べ、無邪気にそんなことをする輝羅を、そんな綺羅と一緒に笑っている美羅を、男は呆然と見上げている。
「え、お二人の身長は?」
「私は208cm」
「私は204cmです。今日は5cmのヒールを履いてきたので、209cmですね」
「私も一緒! だから、今は213cm? お兄さんは私よりも、えーと33cm小さいんですね!」
 子供と話すときのように、腰を曲げて男と目線を合わせて、にこっと笑って輝羅は言う。男の手で掴めてしまいそうな小顔と、可愛らしい童顔。しかし身長は213cm。そのギャップに男の脳はオーバーヒートしようとしていた。
「・・・・・・家族の方も、背が高いんですか?」
「いえいえ。兄が4人いますが、190cmくらいです。普通です」
「190?」
 美羅の言ったことに、目を丸くする男。そんな彼を怪訝な表情で見下ろす姉妹。
「え? どうかしました?」
「190cmは、高いですよ。男の平均身長、170cmくらいですし」
「え?」
 ・・・・・・無言が漂う。驚きを通り越して声を失った姉妹は呆然と男を見下ろしていた。男は、そんな世間知らずな姉妹をいつまでも見上げていた。

 180cmの男との時間が終わり、姉妹は一息ついて、次の男が来るのを待つ。
「ねえ、170cmの男性って信じられる?」
「ううん、全然。どれくらいなんだろう? さっきの人でも私の肩より小さかったのに、それより小さい人って」
「だよねー。でも、ちょっと会ってみたい」
「わかるー! 今度の人は、小さい人だといいなー」
 男性と触れ合うために計画されたお見合い。しかし姉妹はまるで動物園にでも来たかのように、これから見られる男性を心待ちにしている。そしてとうとう、その時がやってきた。
「ねえ、来たよ! さっきより小さい!」
「本当だ。先に私が立ち上がるわね」
 美羅が立ち上がって男性に近寄る。シークレットシューズを履いて165cmになった男は美羅を目の前にして、後ろに倒れてしまいそうなほどに首を傾けていった。
「うわー、ちっちゃーい! 私も並ぶー!」
 美羅よりもさらに背の高い輝羅が立ち上がる。しかし男の目線はあまりに低過ぎて、2人の間の5cmの差に気づいてすらいない。
「お兄さん、身長は何センチですか?」
「え、・・・・・・165です」
「165cmってー、うちらが何年生の時の身長?」
「小学2年生? あ、でも入学の時160って聞いたことある気がするから、1年生かも」
「ふーん、その時って、こんなに小さかったんだねー」
 ぽんぽんと男の頭を叩く輝羅。胸までしか届かない小さな彼の目の前に広がるのは布だけで、顔ははるか上にあるため、まるでカーテンと向かい合っているような錯覚を覚えた。そして、先程の小学校入学時に160cmあるという美羅の発言を思い出して、黄色のランドセルを背負った小学1年生に見下ろされる自分を想像して苦笑いを浮かべた。
「2人とも、身長がとても高いんですね」
「はい、そうなんです」
 美羅は目だけを下方に向けながら、胸を張ってそう言う。男には彼女が高慢な令嬢のように映った。しかしそれに伴う、侮辱されたことへの苛立ちといった感情は、彼女の美貌によって直ちにかき消される。そして、彼女たちのことをよく知りたいという思いが男の中にふつふつと湧いてきた。
「昔から、身長が高かったんですか?」
「まあ、そうですね。中学に入った時192cmありましたけど、兄と同じくらいでしたし」
「そうですか。なんか、周りとの身長差、凄そうですね」
「あー、確かにそうでした!」パンと手を叩き、輝羅は言った。「小1の時とか、周りの子は120cmとか130cmとかしかなくて、みんな本当に、お兄さんみたいに胸までしかなかったので、こんな感じでー」
 地面にしゃがみ、膝に手を乗せて男を見上げる。それでも男の胸くらいの高さであり、身長差だけならさっきまでと丁度逆の関係になっている。
「みんなと話す時は時は、いつもこうやってしゃがんでいました」
「そういえば私も、腰が辛くてよくしゃがんでた」
「やっぱりこうするよねー!」
 そして再び立ち上がる輝羅。男の目の前には彼女の鳩尾がある。
「そんなに身長高いと、生活に困りません?」
「え、どういうことですか?」
 意味がわからないといった様子で、姉妹は男を見下ろす。
「ドアが小さいとか、キッチンが低いとか」
「いえ、普通ですけど・・・・・・」
 ますます訳がわからないといった様子で、姉妹は怪訝な表情で男を見下ろした。自分よりも頭2つ背の高い女性にそんな表情で大きく見下ろされて、男は恐怖と焦りを感じた。人間離れした長身美人に、自分よりも多くの点で優れている人間に、変な人だと認識されることによる恐怖と焦りだった。
「う、うちのドアの高さって200cmしかないんですよ! だから、お二人だと、頭ぶつけそうだなって」
「え? そんなにちっちゃいんですか?」
「私たち、生活できないじゃん。兄さん達ならまだできるかもしれないけど」
 上空で始まる姉妹の会話。そして再び彼女達は男を怪訝な表情で見下ろす。その瞬間、男は自分と彼女たちとの差を改めて感じた。生物としても、人間としても、自分はこの2人には劣っているのだと思った。
 男はシークレットシューズを脱ぎ、さらに背を低くしてから姉妹を見上げて柔らかく微笑んだ。
-FIN