話しかけられて

 小学6年生で160cmあった少女は、その大きな体で威張っていました。それを見かねた魔女が、少女に呪いをかけてしまいました。
「今日からお前は成長できなくなった。そして、人に話しかけられると背が伸びる呪いをかけた。2mでも5mでも10mでも、どこまでも伸びる。そうなったらお前は、もう普通の人間としては生きていけなくなるだろう」
 少女はそれを聞いて悲しみ、それ以来外に出ることも、家族と話すこともなくなりました。しかしある日、魔女は少女にこういいました。
「ただしお前が小さいものに対する優しさを取り戻したとき、呪いは解けて、『止まっていた分の成長』もその時するであろう」
 少女は魔女の言ったことの意味が分からず、5年間も家に引きこもり続けていました。
――
――

 公園で遊んでいた時に、窓ガラスに映った女の子の姿が、今でも僕の目に焼き付いている。
 彼女は毎日そこにいた。休日も、平日の放課後も。運動会の振り替え休日でも、彼女はそこにいた。初めて会ったのは僕が小学4年生の時。その時から僕は彼女が好きだった。そんな初恋から3年、僕は中学1年生になった。昔はお姉さんに見えた彼女も、今見るとどこか幼く見える。一体、彼女は何年生なんだろう。きっと病気か何かで学校に行けず、ずっと家で勉強しているんだって、僕は勝手に思っている。
 僕は毎日、1人で公園でボール遊びをしながら、彼女の方をぼんやりと見ていた。最初は家にあまりいたくなくて、公園に来ていたけれど、いつの間にか彼女に会うために行くようになっていた。
 彼女は今日も読書をしている。どんな本を読んでいるんだろうと思って、目を凝らしてそれを見つめた。
 ・・・・・・彼女が僕を見た。僕は恥ずかしくなって、目を逸らす。中学生が小学生くらいの女の子の部屋を覗くなんて、みっともない。それから僕はボール遊びに熱中した。でも実際には、女の子の方に目が行ってしまい、そちらをチラチラと見ていた。

 いつも通り、僕は公園に向かう。隣の家から女の子が出てきた。心臓がびっくりした。外に出る彼女を初めて見て、この子も外に出られるんだと、少し安心した。そしてその次に、僕は彼女の立った姿にびっくりした。家の中を覗いた時は幼く見えた彼女が、僕よりもずっと背が高かったから。
 僕は身長が150cmしかない。背の順では、前から数える方が早い。そして女の子は・・・・・・僕よりも、頭一つくらい大きい。多分、170cmくらいあると思う。そんな彼女が、本を持って歩いている。その格好はとても凛々しくて、僕の顔は勝手に赤くなっていく。
 彼女を追いかけながら、僕は心臓をバクバクさせていた。いつ話しかけようか、この今日を逃したら、多分2度とチャンスはない。せめて、友達になりたい。僕は小走りで彼女を追っかけた。
「あ、あの!」
 声をかける。彼女は気が付かなかったようで、僕はもう一度、声をかけた。
「すみません、ちょっといいですか?」
 ぴたっと立ち止まって、僕の方を振り向く。高いところから僕を見下ろしている。どうしてか、さっきよりももっと彼女が大きく見えた。
「すみません、良ければお友達になりませんか? 急ですけど」
 彼女はじっと黙って僕を見下ろしている。嫌われたのか、それともオーケーを出してくれたのか、まったくわからない。
「あの――」
 もう一度訪ねようとしたら、彼女に右手で口を抑えられた。そして左手の人差し指を自分の口に運んで、『しい』のポーズを取った。僕は無言で懐いた。すると彼女はにこりと微笑んで、小走りで去って行ってしまった。

 それからも僕は公園に通い続けた。いつでも女の子は部屋で読書をしていた。たまにじっと見すぎて向こうに気づかれてしまう時があったけれど、そんな時彼女は笑顔で手を振ってくれた。なんとなく、僕は彼女に近づけた気がした。
 ある時、また外で女の子に出会った。僕は今度こそはちゃんと会話をしようと、彼女が出てきたところで声をかけた。背の高い彼女を思い切り見上げて、僕は口を開いた。
「すみません、ちょっといいですか?」
 ふるふると首を振る。胸がちくりと痛んだ。でも、友達になりたい。
「あの、僕。3年くらい前にあなたと会って。その日から、あなたが気になっていました。なのでもしよければ」
 ふるふると激しく首を振る女の子。もうだめなのかもしれない。それでも最後まで、伝えきりたい。
「あの、もしよければ僕と友達になってもらえませんか? あ、自己紹介が遅れましたが、僕はN中学校の1年生で、去年まではM小学校にいました。部活はサッカー部で、毎日ここで練習をしています。小学生の時もクラブチームに入っていたので、その時からここでボールを使って練習をしていて、それであなたのことを――」
 女の子が僕の口をぐっと手で押さえる。目の前には、この前と同じ、人差し指を口元に当てた『しい』のポーズ。僕は首を振って、それを振り切った。
「これだけは言わせてください。あなたのことが、好き――」
 女の子に持ちあげられて、家の中に入る。急なことでびっくりした、ただ話していただけなのに、家に入れられてしまうなんてと。そして女の子は軽く息を切らしている。血の気が引いた。無茶をさせてしまった、しかもこんな、病弱な女の子に。
「あの、ごめん。その、」
「もうしゃべらないで!」
 女の子がそう言った。はっきりと、大きな声で。僕は口を閉じるしかできなかった。そして、胸がずきんずきんと痛んで、目元が熱くなった。
 それから僕は女の子に持ち上げられながら、階段を上る。足首を伸ばしても地面に届くか届かないか。かといって女の子は高く持ち上げているというわけじゃなく、僕の頭には彼女の顎が若干触れている。
 ・・・・・・なんだか、変な感じがした。小学生の頃にお父さんに抱えられた時の記憶が僕の脳裏に浮かんでくる。
 そして彼女は部屋に入り、僕を地面に下ろす。さっきよりも、ずっと大きな彼女。外から見ているときは全く分からなかったが、こんなに大きい人だったのか・・・・・・少し、怖くなった。僕のお父さんは180cmくらいあるけど、お父さんよりもずっと大きい。
「ふう・・・・・・」
 女の子がため息をついて、カーペットに女の子座りをする。膝がとても大きく見えた。
「あ、あの」
「しゃべらないで!」
 さっきと同じことを言われる。僕は黙り込んで、会釈をして謝った。女の子は机に座り、何かを書き始める。その間僕は黙ってその場に立っているしかない。机は女の子にはとても小さいようで、脚が入らないから横向きに座って、腰から上を90度曲げて机の上で何かを書いていた。妙な光景だった。大人が子供の机を無理やり使っているような。でも、女の子も顔だけ見たらなんとなく小学生みたいで、大人という感じがしない。それがまた、その光景を妙にしている。
 書き終えたのか、女の子が紙を渡してくる。僕はそれを会釈しながら受け取って、中身を読んだ。

「いきなり怒鳴ってごめんなさい。でも、私は人と会話しちゃいけないんです。私は今、小学6年生ですが、もう5年くらい小学6年生をやっています。5年前に悪い魔女に呪いをかけられて、その呪いというのが、人と話すと体が大きくなるというものでした。なので私は人と話さないようにと頑張って、気が付いたら5年が経ってしまいました。人と話すのは本当に久しぶりです。キミに話しかけてもらって、少し楽しかった。ありがとう。でも、話すと大きくなっちゃうから、できればこうやって文章でお話をしたいです。この呪いを解くには、小さい子に優しくすればよいみたい。でも、何をすればいいのかよくわからない。図書館で小さい子に本を取って上げたことがあるけど、私の呪いは解けなかった。どうすれば解けるか、一緒に考えてもらえますか?」

 読み終えて彼女を見ると、真剣な表情で僕をじっと見ていた。膝を大きく曲げて小さな椅子に座って、まっすぐ僕を見ていた。僕は首を大きく縦に振った。女の子が、小さく微笑んでくれた。5年間6年生をやっている、それはつまり、今は本当なら高校2年生ということだろうか? それに話しかけられると大きくなるなんて話も信じられなかったけど、僕は実際に女の子が大きくなる瞬間を見たし、何にせよ彼女を疑うことはしたくなかった。
 それから僕らは筆談で、呪いを解く方法について話し合った。何をすればよくわからないけど、必死に話し合った。魔女の残したヒント、『小さいものに対する優しさ』、主にこれについて話し合った。小さいとは、優しさとは、学級討論の時のように、用語の意味を辞書で引きながら僕らは話し合った。
「小さいって、どこからでしょうか?」
 何枚目になるかわからない紙に、僕がそう書く。
「多分、時田くんくらいなら小さいと思う。魔女のおばあさんも、150cmくらいだったと思うし」
 鎌田さんがそう書く。筆談は面倒くさいけれど、正直なところ、話せるだけで楽しい。
「となると、ある意味、僕に優しくすればいいと」
 書いていて恥ずかしくなるが、はっきり書かないと、伝わらなくなってしまうもの。
「確かに。時田くんは、何をされたら優しいと思う?」
 平然とそんなことを書いていく鎌田さん。こういう落ち着きに、実質16歳、17歳の大人を感じて恥ずかしくなる。僕は鎌田さんの書いた文章で、顔が赤くなった。されて優しいと思うこと・・・・・・正直、何をされても優しいと思う。
 僕の反応が遅いからか、鎌田さんに肩を叩かれる。真剣に僕の目を見て、答えを求めてきた。顔がぱっと熱くなった。僕は震える手で、紙にこう書いた。
「何されても、優しいと思います」

 僕の書いたものをじーっと見つめる鎌田さん。てっきり、「もっと具体的に」とか書かれるものと思っていたのに、彼女はじっと、僕が書いたものを見つめていた。変なことを書いてしまった、僕はそう思った。あわててその隣に何かを書こうと思ったものの、鎌田さんにそれを遮られる。
「ふん、何されてもいいのね。プレゼントとか、どう?」
 急に口を開いて、そんなことを訪ねてくる鎌田さん。
「あの、会話は」
「なんか見えてきたし、もういいかなって。それよりさ、お料理とかされたら、嬉しい?」
 椅子から立ち上がり、しゃがんで僕を見上げて、そう尋ねる。僕はこくこくと頷いた。汗が出てきた。
「そっか、じゃあ作るね。私、一人暮らしみたいなものだからさ。料理はできるんだ。じゃあ、作ってくるねー」
 手を振りながら部屋から出て行き、ドア枠に頭をぶつける。さっきよりもまた、少しだけ大きくなったと思った。

「おまたせー」
 上機嫌で、鍋を運んでくる鎌田さん。
「お皿持ってくるから、ちょっと待ってて」
 と言って、小走りでリビングに戻っていく。また、ドア枠に頭をぶつけていた。急に上機嫌になった鎌田さんが、僕はよくわからない。何をされても嬉しいといったけれど、そんなに簡単に解決する問題なのか。僕は、彼女の考えが良くわからなかった。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「遠慮しないでねー。いただきます!」
 シチューとロールパン。よくある組み合わせだけれど、好きな人の手作り。僕は両手を合わせて、「いただきます」と言う。家では決して言うことのない言葉だけれど、今は本当に、食材と鎌田さんに感謝できた。
 僕は慎重に、スプーンを口に運ぶ。鎌田さんが僕をじっと見てくる。
「お味は?」
「とても美味しいです」
「やった!」
 小さくガッツポーズを決める。お世辞じゃなくて、本当に美味しい。野菜の大きさも、味のしみわたりも。家のものよりも、僕が作るものよりも、ずっと。
「本当に美味しいですよ、お世辞じゃなくて」
「ふふ、料理には、ちょっと自信あるから」
 鎌田さんは微笑みながら、そう言う。鍋に入っていたシチューはあっという間になくなり、僕らは一緒に手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
 後片付け。鎌田さんが鍋を運び、僕は食器を運ぶ。
「いたっ!」
 頭を思い切り、ドアにぶつけた。さっきはかする程度だったけど、今度は額に思い切りぶつけていた。
「大丈夫ですか? あ、しゃべらない方が・・・・・・」
「ううん、しゃべろう。しゃべらないと、優しさなんて伝わらないから」
 鎌田さんは片手で鍋を持って、もう一方の手で額をさすりながら、にこっと笑った。

「さて、と」
 食器を洗い終えた鎌田さんは、いま腰に手を当てている・・・・・・依然として、大きな彼女。ドアよりも大きい。ドアは200cmくらいあるというけれど、もしそうなら鎌田さんは今、215cmくらいあると思う。僕の肩に。彼女の腰があってびっくりした。
「・・・・・・なんか、ダメみたいね」
「すみません」
「いやいや、謝らないでいいから。それより、時田くん、そろそろ帰りなよ。もう遅いからさ」
 帰りなよ、鎌田さんの言葉で僕の体が硬直する。今まで、鎌田さんの言ったことはなんでも受け入れて来たのに、今はそれができない。僕はただ、黙ってうつむいていた。
「時田くん?」
 鎌田さんがしゃがんで、僕の顔を覗き込んでくる。僕は目線をもっと下げて、鎌田さんから目を逸らした。この時だけは、僕はこの低い身長に感謝した。
「もしかして、泣いているの?」
 ああ、鎌田さんには隠せなかった。今日があまりにキラキラしていて、帰った時のことを考えるだけで胸が締め付けられる思いがする。
「すみません、泣くなんて、情けないことして」
 声を出すと、たまっていた涙が一気に流れ出した。あいにくハンカチを持ってきていなかった僕は、袖で涙をぬぐうしかできない。
「はい、どうぞ」
 目の前に、薄いピンク色の布が差し出される。僕はそれを、両手で受け取る。
「ありがとうございます」
「泣いてもいいんだよ。それに、私の方が一応お姉ちゃんなんだからさ。さ、思い切り泣いてね」
 そう言って、腕を広げる鎌田さん。ぼやけた視界で、僕はそれを感知する。年上の女性とはいえ、さすがに抵抗があった。しかもそれが鎌田さんともなれば。でも、僕の体はそんな僕の自尊心とは裏腹に、一歩踏み出していった。
「おーよしよし。頑張ったね。泣いていいからね」
 その瞬間、僕の視界いっぱいに白い光が満ち満ちてきた――

「時田くん・・・・・・時田くん・・・・・・」
 鎌田さんの声が遠くから聞こえる。そちらに行かなくちゃと思うのに、体が重たくて、意識が遠くて、動かない。
「時田くん、起きてる? もう朝なんだよ」
 朝、その単語に僕の体は一気に覚醒した。
「あ、起きた。6時半だけど、どうする。学校行く? 体調悪いなら、休んじゃえば?」
 隣には、正座をする鎌田さん。ちゃぶ台の上で、食事を取っていた。僕は今、彼女のベッドの上で寝ているらしい。そう自覚して、恥ずかしくなった。
「すみません、ベッド使っちゃって」
「いいのいいの。私どうせ、使えないし」
 昨日と同じく上機嫌で、目の前で手を振る鎌田さん。
「あ、そういえば呪いは?」
「あー、多分解けたよ。多分ね。いま話していても、とくに変化ない感じだし」
「それは・・・・・・良かった。じゃあもうこれからは、普通にお話しできるんですよね」
「まあ、そうだね」
 5年間解けなかったという彼女の呪い。それを、僕と彼女で協力して1日で解いた。そう思うと、何となく嬉しくなって、また誇らしく思える。
「それより、起きるんでしょ。早く起きなさい!」
 鎌田さんが布団を剥いで、僕をお姫様抱っこして、地面に立たせる。
「ちょっと、強引ですよ」
「ふふん。時田くんなんか天然ぽいから、これくらいしないと、起きないかなって」
 にやにやしながら僕を見下ろしてくる鎌田さん。天然ぽいと言われて僕は思わずむっとした。それなら、鎌田さんは子供っぽい。そして僕は鎌田さんを睨みつけた・・・・・・あれ、何かがおかしい。
「あれ、鎌田さんって」
「あ、やっと気づいた? まだまだ謎は残っているのよ」
 僕の目の前に、彼女の肘が。首を上げていくと胸が映り、最後に顔が蛍光灯を一部隠している。
「・・・・・・今は、何センチで?」
「210cmだった。ちなみに呪いにかかった時の私は160cm。呪いにかかった期間は5年間。そして、当時の私は成長期だった。多分これで、謎解けそうじゃない?」
 鎌田さんの話は、僕の頭には全く入ってこない。ただ、彼女の大きさだけが、僕の気を引き、驚かせているのだ。
「さあ、朝ごはん用意できているからさ。下で食べよう!」
 僕を誘導して、リビングに向かう鎌田さん。あ、ドア枠が――
「痛い! あー、いつもやっちゃうー」
 昨日と同じように額をさする鎌田さんを見て、僕は自然と笑顔になる。
「鎌田さんも、ちょっと天然ぽいですね」
「ちょっと、先輩に向かって何を! 朝だから頭がぼーっとしてるだけだからね」
 子供っぽく怒りながら、階段を下りる鎌田さん。彼女は僕よりも2段下にいるけれど、それでも僕は彼女の顎の下に入ってしまうくらい、小さい。
「ささどうぞ、召し上がれ。昨日の残りだけど」
「お気持ちだけで、嬉しいです」
 僕は席について、両手を合わせる。自分の家では絶対にやらなかったことだけれど、この場ではどうしてもやりたい。
「いただきます」
 僕はそう言ってから、鎌田さんの料理に手を付けた。
-FIN

創作メモ

もう少し丁寧に書いてもよかったな。そのうち書き直したいです。