ハッピーガール

 私は生まれた時から、家族親戚に「妖精さん」と呼ばれていました。未熟児で生まれ、成長しても平均よりもずっと小さい女の子でした。1歳の時から保育園でお世話になり、そのまま5歳まで、お世話になりました。小さくて、おとなしくて、気が利いて、おりこうさんで。保育士さんは私のことを、「天使みたいな子」と褒めてくれた時のことを、私は今でもはっきりと覚えています。
 そして、私は小さいまま、小学校に入学しました。小学校でも、私はアイドルみたいでした。そして私は皆に優しく、礼儀正しく接しました。人のことを一番に考えて、自分のことは全部後回しにしていました。そうして皆が喜んでくれるのを見るのが、私は大好きでした。このためなら、自分がちょっとくらい損をしても構わないと思っていました。そして私は、とにかく、幸せに日々を過ごしていました。・・・・・・小学3年生くらいまでは、きっと、そうでした。 小学4年生くらいから、周りの人がどんどん、アタマがおかしくなってきました。ある時私が親切をすると、歪んだ笑いを浮かべて、私を指さして笑ってきました。私は何が楽しいのかが理解できませんでした。しかし、その人たちは、私を見て、楽しそうにしていました。そんなことが、頻繁に起き始めました。私はそれに出会う度に、妙な感じを覚えながらも、合わせて笑っていました。
 ある日の図工の時間、隣の子が絵の具を忘れてしまったようで、困っていました。私はとっさに、自分の絵の具を、私の右手側の、その子の机との間に置いて、2人で使おうと言いました。その子はそんな私を見て、鼻でフッと笑って、手を挙げました。
「先生、絵の具を忘れました」
 図工の先生は、優しい先生です。きっと正直に言えば、絵の具を貸してくれるでしょう。そして、2人で使って、同じ色を使いたくなった時に、片方が使い終わるのを待つよりは、先生から絵の具を借りたほうが良いでしょう。私は遅れてそんなことに気が付き、隣の子に対して申し訳ない気持ちになりました。そして、隣の子の邪魔にならないようにと、私は絵の具を左手側に移そうと思いました。
「あらー、ごめんなさい。今、絵の具の余りがないの。だから、隣の子と一緒に使って頂戴。
みーちゃん、貸してあげてね」
 私はコクリと頷いて、絵の具を再び、右手側に置きました。隣の子は、チッと舌打ちをして、私のことを睨みつけてきました。びっくりしました。私は、私の信念の下では、一切悪いことはしていません。むしろ、「困っている人を助ける」というのは、私の道徳に沿った行いです。それを遂行したにも関わらず、隣の子は、私のことを、非常に汚い目で見下してきたのです。
 私は、この子は私とは異なる倫理観を持った人なのだと、私は今更ながら、気が付きました。親切にすることを嫌がる人がいるのだということを、私はこの日、学びました―― 
 
 最初は小さなことでした。教科書を隠されたり、上履きを隠されたり、体育着を隠されたりしていました。そして、私が見つからない見つからないと困って、他の人に聞いても知らないと言われて、仕方がなく担当の先生に、持ってきたにも関わらず無くしてしまった旨を伝える瞬間に、どこからか、それらが出てくるのです。そして私は目を輝かせて、出てきたなくしものを、見つけてくれた子から受け取ります。そして私は、ありがとうと、その子に言います。するとその子は、非常に汚い目で、私を見下してくるのです。
 「良くしてくれた人に感謝する」というのは、私の道徳観に沿った、真っ当な行いです。にも関わらず、その子は不快感を丸出しにして、私を見下し睨みつけて来たのです。つまりこの子は、私とは全く異なる倫理観を持った人なのだと、私は気が付きました。私の道徳が、全く通用しない人がいるのだということを、私はその時、気が付きました。
 そしてその辺りから、私の身の回りに異変が起こりました。ある日学校に行くと、机に鉛筆で、落書きがされていました。
「死ね」「バカ」「クソチビ」「臭い」「学校来るな」「キモイ」
 あたかも罵倒語の辞典のように、机には、汚い言葉が並べてありました。そしてそれを見る私を見て、ニヤニヤと、質の悪い笑みを浮かべる人が、何人もいました。私は筆箱から消しゴムを取り出して、その言葉を一つ一つ消しました。私は、クラスメートの、この行動が、全く理解できませんでした。
 まず、落書きをしたいだけなら、落書き帳にすればいいのにと、私は思いました。そして、私が嫌いで嫌いで仕方がないのなら、私をトコトン避ければ良いと、私は思いました。私は、人が不幸な思いをするのが何よりも嫌なのです。もしも私と一緒にいて不幸な思いをするのなら、そしてそう言ってもらえれば、私は素直に、その人を避けます。しかし、何の前置きもなく、机に落書きだけして、それを私が見ることを端から見てニヤニヤして、何になるのでしょうか。
 私は考えました。そしてパッと、答えが見つかりました。これをやった人は、「私の机に罵倒語を鉛筆で落書きして私に見せる」という行為が、「大好き」なのだと言う結論に至りました。きっとこれをすることで、その人は魂が浄化されるような、心の底から清々しい気持ちになることができるのだと、思いました。そう思うと、私はこの落書きが非常に誇らしく思えてきました―――― 
 
 ある日の放課後、私は、プールの隣にある女子トイレに連れて行かれました。そして個室に入れられ、その中で、私は胸ぐらを掴まれ、宙ぶらりんになり、握りこぶしで殴られました。とても、痛いものでした。頭がクラクラして、涙がボロボロと出てきました。その後も何度か殴られ、私は視界がぼやけ、立っていられなくなり、トイレの床に座り込みました。すると首を掴まれ、便器の中に顔を突っ込まれました。
 殴られ疲労し、酸欠状態の私に水が襲いかかり、私は生存本能をむき出しに、力いっぱいにもがきました。しかし・・・・・・私は妖精さんと呼ばれた女の子です。同級生よりも頭ひとつ以上背が低く、力もありません。もがいてももがいても、相手に力負けしてしまいます。
 ・・・・・・気がつけば私は、トイレの個室の床に1人で座り込んでいました。ふらふらする足取りで外に出ると、夕焼けが綺麗でした。教室に戻り、ランドセルをもって、私は家に戻りました。お母さんは私の姿を見るなり、目を丸くしていました。直ぐに、顔や体の痣を、お母さんは手当してくれました。内出血した皮膚は、見るのも嫌になる色をしています。そしてその後、色々聞かれました。その全てに、私は正直に答えました。
 そして今回の出来事だけでなく、机の落書きのことも、聞かれたことは全て言いました。聞かれたから、そして事実だから、私は全てを正直に答えました。その翌日、私は学校を欠席させられました。部屋で本を読んでいると、お昼頃、クラスメートの女の子3人が家にやって来ました。女の子たちのお母さんと一緒に、やってきました。何人かは泣いていました。リビングでお互い顔を合わせて、そして私に謝ってくれました。私はそれらに対して、曖昧な返事しかできませんでした。
 謝るくらいならやらなければ良かったのにと、私は思いました。彼女たちがこのような行動を起こした原因というものが、一晩考えても、全く分かりませんでした。一応、「私を殴る」という行為が「大好き」で、これをすると心の底から「清々しい気持ち」になれるのだという結論は出てきました。しかし、昨日、私を殴った彼女は、殴っている最中、決して笑ってはいませんでした。むしろ、思いつめたような表情をしていました。そして時間が立つほどに、表情がより険しくなっていくように感じました。つまり彼女は、辛い思いをするために、わざわざ私をトイレに呼び出して私を殴ったのです。 私はこの行動の動機が、全く理解できませんでした。そして気になったのでそれを尋ねてみました。・・・・・・彼女は最初、口をつぐんでいました。そして、彼女のお母さんに背中を叩かれて、口を開きました。
「・・・あんたが、ムカツクから」
 その一言だけでした。そしてその一言で、彼女のお母さんは、彼女を叱っていました。そして私に謝ってくれました。
 ・・・・・・全く不可解なものでした。彼女の動機であろう「ムカツク」というものが、私には分かりませんでした。そして私は、それを彼女に尋ねました。すると彼女は、静かに泣きだしました。
「・・・あんたのそういうところが、本当に、ムカつくの・・・」
 そして彼女は机にひれ伏し、皆の前で、声を上げて泣きだしました。私はそれを見て、心が痛くなってきました。理由は今はどうでも良い、とにかく、彼女を慰めなくてはならないと、思いました。私は席を立ち、ポットを沸かし、癒やし効果のあるカモミールティーを淹れました。そして、3人に、カモミールティーを振る舞いました。泣いていた女の子が一口飲んだ時、私は彼女に、「どう?」と尋ねました。
 私なりの気遣いでした。しかし泣き止みかけていた彼女は、私の目の前で再びどっと泣きだしました。私は激しく泣く彼女を、どうすることもできませんでした。結局その日はそのまま、3人とも帰って行きました。彼女たちが帰った後、私は部屋で色々なことを考えていました。結局、彼女の動機というものが、私はよくわからなかったのです。私を殴るのが楽しくて仕方がないのならまだわかりますが、私を殴る時、彼女はあまり楽しそうには見えなかったのです。なぜ自ら不幸になろうとしたのか。それが私には、全く理解できませんでした。そして答えがでることもなく、私は眠りにつきました―――― 
 
 他の女の子は、身長も胸も大きくなるのに、私には一向に成長期というものが訪れませんでした。そしてあまりに小さい私は、周りの人から奇妙な目で見られ、そして軽んじられるようになりました。無意味なことをされる回数が、日に日に多くなっていきました。私はそれをされる度に、なぜそうするのかを考えます。原因を探求し、解決しようと試みます。しかし、回数が多すぎて、答えが追いつかなくなっていきました。そして、私は何かをされると、機械的に、「楽しいからやるのだ」という結論を導出するようになりました。実際それをやるとき、ニヤニヤとしながら実行しているので、そこまで遠い理由でもないと、私は思いました。
 あの日以来、私はクラスメートから傷害を負うことはなくなりました。そして、落書きや盗難といったものが、起きるようになりました。ある日、体育着が泥水で汚れ、悪臭が漂っていました。私はそれを蛇口で洗いました。すると、後ろから誰かが頭を押してきて、私は水に顔を押し付けられました。後ろを振り向けば、クラスメートが私を指さして、顔を歪めて笑っていました。私は、私を見て笑う彼女を見て、ふと、楽しそうだと感じました。そう思うと、私が服を濡らし口に泥を含んだことも、決して損ではないように思えました。その程度のことしか、あの日以来、学校では起きていませんでした。
 そして私は、体は小さいまま、小学校を卒業し、中学校に進学しました。中学校には、別の小学校からも集まってきます。その中でも私は、ダントツの小ささでした。色々な人が、私をかまってくれました。私のことを可愛い可愛いと言ってくれました。私はそれを、純粋に嬉しく感じていました。そして流されるままに、私はクラスメートの愛玩人形となりました。毎日毎日、私はクラスメートと抱き合いました。クラスメートは喜んでくれました。
 しかし、私がそのようなことをすると、不幸な気持ちになってしまう人がいるのです。最初は、ただのちょっかいでした。小学校のように、ものを隠されたり、水をかけられたりするだけでした。しかし私はある日突然、クラスメートに連れて行かれました。そして服を脱がされ、体を痛みつけられました。すっかりくたびれた私に、チクったら殺すとだけ言って、去って行きました。私自身の問題なのに、どうして他人に言う必要があるのでしょうか? 私は誰にも、そのことは言いませんでした。
 そして毎日毎日、その人に連れていかれては、体を痛みつけられました。そして私を痛みつけている間、その人は笑っていました。楽しそうに、笑っていました。しかし私はその笑顔が、純粋なものには思えませんでした。楽しいからやっているのでしょうが、実際楽しそうなのですが、なんというか、幸せそうには、全く見えませんでした。暴行は段々とエスカレートし、ある時、私は失神してしまいました。そして気づくと、私1人で、床で寝ていました。
 ある時は自殺の予行練習と言われ、即席の首吊り縄で首を釣るよう言われました。私は嫌なので、嫌と言いました。するといつも通りの暴行が始まりました。しかしそれだけでした。痛みによる疲労は凄まじいものがあり、私は段々と、寝不足になってきました。寝る時間を増やしても、中々疲労は回復しないのです。友人や家族に、疲れているのかと、ある日聞かれました。私はその時、暴行について話しました。皆、目を丸くしていました。そして、あの時と同じように、私の家に、その人が、お母さんと一緒にやってきました。その人は険しい顔をして俯いていました。
 お母さんは何度も謝ってくれましたが、その人は、お母さんに背中を叩かれて、しぶしぶ謝ると言った具合でした。私はその人に、なぜこんなことをしたのかと、尋ねました。私がしばらく、考えていなかったことでした。彼女はボソリと、言いました。
「アンタが嫌いだから」
 私は彼女がクラスメートであるということは知っていますが、ロクに話したことがありません。嫌われるほど、私は彼女と付き合ったことがないのです。そのことを指摘しました。すると、こう言いました。
「アンタがムカツクから、ウザイから」
 私は驚きました。あの日のあの子と全く同じ動機だったのです。私はそれ以上追求するのはやめました。ムカツクという気持ちについて尋ねれば、きっと彼女はさらに私にムカツクのでしょう。私はやっと、気づきました。私が私として私らしく振舞っているだけで、不幸になってしまう人がいるのだということを。
 普通に考えれば、そういう人とはできる限り縁を薄くすれば良いだけの話です。しかし、ムカツクという感情の下では、それだけでは済まないようなのです。さっきから何度も、お母さんが謝ってくれます。彼女もしぶしぶと謝ってくれます。私は考えました。しかしきっと、カモミールティーのような癒やしを与えても、彼女は幸せにはなれないのだと思うと、何もできませんでした。
 私が彼女の幸せを考えるということ自体、彼女にとって、大きなお世話なのかも知れません。もしかしたら、不幸になるのも、個人の自由なのかも知れません。しかし、私はどうしても、彼女のような人に、幸せになってほしいと願ってしまうのです。なぜならば、彼女が不幸だと思うからです。不幸とは、幸せを感じられない状態のことだからです。この世界の美しい輝きを、心はずむものを認識できない日々というものが、私には想像できません。もしそれがなくなってしまったら、あるいは限りなく少なくなってしまったら、私は正気を保てる自信がありません。そしてきっと彼女がそういう人間だと思うと、私は涙さえ出てくるのです。
 彼女にとってこの気遣いが非常に邪魔で不愉快なものであったとしても、そう感じてしまうのです。私のエゴです。しかし、そう感じてしまうのです。しかし、私は彼女を救うことができないのです。なぜならば、彼女は不幸だから――
 
 いじめが露見して、当事者のクラスメートがペナルティを受けても、いじめが根本的に解消することはありませんでした。以前のように直接的ないじめはなくなりました。そのしわ寄せとして、間接的ないじめが増えました。手が滑ったと言って水をかけたり、教科書を破いたりしました。なぜここまで無意味なことに全力を注ぐのか、私には全く理解できませんでした。しかしそれは当たり前です。私と彼女は全く異なる価値観を持っているのですから、私が彼女を理解できるはずがありません。
 私は彼女のいじめに、とにかく耐えました。他のクラスメートは彼女を恐れて、誰も助けてくれませんでした。耐えていれば、いつの日か彼女の精神が浄化されるときがくるのではないかと。蓄積された鬱憤が空っぽになる時がくるのではないかと思い、私はただただ耐えました。しかし、結局は歴史が繰り返されるだけでした。最初は軽く、そして次第にエスカレートしていきました。消えたはずの直接的ないじめは、気づけば復活していました。もしも私が、スクールカウンセラーなどに相談すれば、このいじめは再びなくなるのでしょう。しかし、それは無意味なことです。根本の原因が解消していないのですから。彼女が幸せになっていないのですから。
 ああ、どうすれば彼女が幸せになれるのか・・・その答えはすぐに出てきました。幸せにはなれません。彼女は不幸なのですから。すでに結論は出ていました。では、そもそもなぜ私は、彼女に幸せになってほしいのでしょうか。単純です。いじめが嫌だからです。どうして私は、いじめを受けてしまうのでしょうか。単純です。私が不幸だからです。たとえ彼女がある日どこかへ行ってしまったとしても、第二、第三の彼女が必ず現れるでしょう。仮に現れずとも、不幸のしわ寄せがどこかに出てくるでしょう。私は不幸なのです。だから、私は何があっても、幸せになることはできないのです。こうなったことは全て、私の運命なのです――――

 いつからなのか、それは分かりませんが、私に待ちに待った成長期というものが訪れました。膝が痛くなり、体育などでは少々苦労することもありました。しかしその引き換えに、私の身長は1年に15cmほども伸びていきました。入学時はダントツで小さかった私が、中学校を卒業する頃には、私は女子の中ではダントツで身長が高くなっていました。
 背が高くなったせいなのか、私はいつの間にか、イジメを受けることがなくなりました。あの子に呼び出される回数は月を減るごとに減っていき、そして気がつけばなくなっていました。モノを隠すと言った陰湿なイジメもなくなりました。そして気がつけば、あの子は私よりも背が低くなっていました。私はそれに気がついた時、希望というものが光り輝くような、そんな感動を覚えました。
 私はか弱い妖精さんでした。か弱いから、不幸な人々にイジメの標的とされました。しかし、今の私は決して弱くはありません。学年で一番背の高い女の子です。チョコンとしていた小さくか弱い私はもう過去の人です。私は、ついにイジメを克服したのです! 終わらない不幸の連鎖というものが、終わったのです! 私は力を手に入れたのです! 権力を、手に入れたのです!私は強くなることができたのです! もう、不幸な人々のイジメに苦しまなくても良いのです! 
 そしてこれからは、か弱い人々をイジメから守るのだと、私は決心しました。中学校を卒業し、私は地元の高校を受験し、無事合格し、進学しました。同じ中学校からの友達も何人かいました。イジメがなくなってからは、私は持ち前の明るさでもって普通にクラスに馴染んでいました。待ちに待った高校の入学式、イジメのない平和で楽しい学校生活を送るのだと、私は希望を胸に抱いて高校に行きました。途中、同じ中学校の友達と出会い、一緒に向かいました。昔は私の方が小さかったのですが、今では私の方が、ずっと大きくなってしまいました。
 友達は私の成長を讃えてくれました。私は少し、照れくさい気持ちになりました。高校に近づくにつれて、同じ制服姿の生徒たちが段々と増えていきます。私は思わず、自分よりも背の高い生徒を探しました。男子は何人かいましたが、女子でそのような人はいませんでした。私は安堵しました。平和で楽しい学校生活を送れるのだと思うと、自然に口角が釣り上がりました。
「なんか、楽しそうだね」
 友達が上目遣いで私の方を見てきます。私は笑顔で、答えました。「うん、嬉しい!」友達も笑顔を返してくれました。小学校中学年以来憧れてきたことがついにこの高校で実現するのだと、私は信じていました。毎日が輝きに満ちた、平和で楽しい学園生活が実現するのだと、私は信じていました。

 背が高かったり、勉強ができたり、運動ができたり、手品がうまかったり、お話が面白かったり。優しかったり、一緒にいるだけで安心できたり、よく気が利いたり、とにかく必死だったり。人それぞれ、才能というものがあります。才能には、目立つ才能と目立たない才能があります。私には、背が高いという、目立つ才能がありました。また少し前までは、妖精さんみたい、という目立つ才能がありました。そしてそんな才能の持ち主は、人々から賛嘆されると同時に、不幸な、心の狭い人々からイジメられてしまいます。
 か弱い妖精さんは、肉体的なイジメを受けました。今の私は、精神的なイジメを受けることになりました。きっかけなんてものは、当然ありませんでした。私が学校生活を送っているだけで、悪口の対象となりました。私が何かをしているだけで、クスクスと笑ってきました。廊下ですれ違う度に、歪んだ汚い笑みをこちらへ向けてきました。始めは当然、無視をしていました。こんなことはもう慣れっこです。しかし、中学校の時とは状況が全く違いました。誰も、私を助けてくれないのです。友達に助けを求めても、知らんぷりされてしまうのです。大きいのにそんなことをするなんてと、時に軽蔑すらされました。
 中学校の時は、なんだかんだ、周りが助けてくれました。周りは私に優しくしてくれました。しかし、私はもうか弱い妖精さんではないのです。背の高い、強い女の子なのです。だから、誰も助けてはくれないのです。背が高いというだけで学校中のあらゆる人の好奇の目にさらされ、人々は汚い笑みを浮かべて私を笑いものにします。私はその一切を無視しました。友達は自然といなくなり、誰もが私を避け、笑いものにしました。助けてくれる人は誰もいませんでした。当然です、私は背が高く強い子なのですから。
 ある日私の心の電源が、プツンと落ちました。そしてある日、動けなくなりました。中学校の時は、イジメられてもなんだかんだ、助けてくれる友達がいました。学校生活の目立たない所で親切にしてくれる人がいました。しかし今の私には、そんな人はいません。学校中の誰もから指差され、笑われます。女子で背が高い、ただそれだけで笑われます。もちろん、悪口を言わない人もいます。しかし、そういう人はただ沈黙し私を避けます。稀に声をかけてくれる時もありますが、それだけです。私は、天涯孤独となってしまいました。陰湿で大規模なイジメを、私は受けることになりました。
 身長は伸びました。しかしだからといって、強くはなりませんでした。この精神的なイジメを耐えぬくほどの精神力を、私は持っていませんでした。体力には多少の自信がありました。中学校の時のように肉体的なイジメを受けても耐えぬく自信はあります。しかしいま現在、進行形で行われているこの精神的で陰湿なイジメに耐えぬく自信は、私にはありません。誰からも助けられず、声を上げて今の状況を打破する勇気もなく、ただただ1人で耐えぬく。学校に行かなくなった私をメールで励ましてくれる友達はいましたが、私は一切を無視してしまいました。メールで励ましてくれても、学校では避けられるのが目に見えていたからです。
 
 私は不幸な人間です。不幸な人は、不幸であるがゆえに幸せになることはできません。不幸とはそういうものなのです。中学校の時に気づいていたことです。平和で楽しい学校生活を送れるはずがないことなど、わかりきっていたことです。中学生の時は、体が小さいからイジメられ、これから先もイジメられるのだろうと思っていました。そして成長期が来て背が伸びて、もうイジメられることはなくなるのだろうと思っていました。しかし、私は不幸な人間です。これは何があっても変わりません。小学校でイジメられ、中学校でも別の人にイジメられたように、背が伸びてもイジメられるのです。むしろ、背が伸びたということが、さらなるイジメの原因となったのです。
 私は今後もイジメられるのでしょう。たとえ社会と縁を切り自給自足の生活をしても、苦悩が収まることはないのでしょう。精神を鍛えて悪口を鼻息で吹き飛ばせるようになったとしても、第二第三の不幸が私を襲うのでしょう。世界中の人が私の前にひれ伏すような、そんな権力を仮に手に入れられたとしても、私はまた別のことで苦しむのでしょう。私は死ぬまで不幸なのです。これは私の運命なのです。
 ではどうして私は、小学校低学年くらいまでは、可愛い妖精さんとして人々に可愛がられたのでしょうか。私はそれを考えました。答えは出ました、単純なことでした。私は可愛がられてなど、いませんでした。そう勘違いしていただけでした。よくよく思い返してみれば、嫌なことも、理不尽なこともたくさんありました。私はそれらを忘れて、数少ない素敵な体験を何百倍にも誇張して記憶していただけなのです。私はきっと、生まれた時から不幸だったのです。私は死ぬまで不幸なのです。これは、私の運命なのです。だから、決して覆ることはないのです。
 ――――――――パタン
-FIN

あとがき

 本当の不幸というものを描こうと思って書き始めましたが,当然ながらこれはフィクションです.生まれから死ぬまでを描こうと思いましたが,私には力が足りませんでした.不幸と言っても,24時間365日が不幸というわけでもないだろうとこれを書き始めた時は思っていましたが,本当に不幸な人は,良い体験すら悲劇に変えてしまう力を持っているかもしれません.もしそうならば,「本当の不幸を描こう」という私の試みは失敗です.不朽の怪作『四丁目の夕日』のような話を描きたいと思っていましたが,私には力が足りませんでした.2018/9/29